『従軍慰安婦』をでっちあげた吉田証言記念日 | KGGのブログ

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 本日9月2日は、私の頭の中では「吉田証言記念日」です。

 従軍慰安婦という嘘を吐き続けた吉田清治が、新聞に「自分が朝鮮半島で婦女子を拉致した」と証言した記事が、昭和57年9月2日に朝日新聞大阪本社版にでた日です。

 

 吉田清治の証言について、初出は昭和55年3月7日朝日新聞横浜版と言われています。

 

 産経新聞WEB版にそれに関する記事残っていましたので、次に引用します。

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https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/

朝日新聞はどう報じたか 初登場昭和55年3月7日付横浜版、女性強制連行の言及なし 

2014/9/8 07:54

 

 

 かつて1人の男の作り話が、これほど日本の国際イメージを損ない、隣国との関係を悪化させたことがあっただろうか。朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治のことだ。吉田の虚言を朝日新聞などメディアが無批判に内外で拡散し、国際社会で「性奴隷の国、日本」という誤った認識が定着していった。「吉田証言」とは何かを考える。(原川貴郎、是永桂一)

 

 朝日新聞は8月5日付朝刊に掲載した特集記事「慰安婦問題を考える 上」で吉田清治について、「確認できただけで16回、記事にした」と説明し、初掲載は昭和57年9月2日付の大阪本社版朝刊社会面とした。

 

 だが、さらに2年半さかのぼる55年3月7日付朝日新聞横浜版などに掲載された連載「韓国・朝鮮人II」に、横浜市内在住の著述業として、吉田清治が登場している。

 

 執筆した元朝日新聞ソウル特派員(現在はジャーナリスト)の前川惠司は、吉田に会ったときの印象について今年5月、産経新聞の取材にこう語っていた。

 

 

 「吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。3、4時間ぐらい話を聞いたが、(女性を強制連行したはずの)済州島の話は全く出なかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」

 

 

https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/2/

 この55年3月の記事に慰安婦という言葉や女性の強制連行に関する言及はみられない。出てくるのは、労務者として吉田が狩り集めた「農作業中の男」「20歳代前半の若者」「15、16歳の少年」「50歳近くの男」らだ。

 

 それから2年半後の57年9月2日付で朝日は、吉田が証言する女性の「強制連行」の実態を報じた。記事は「朝鮮の女性 私も連行」「暴行加え無理やり」の見出しで、18年の初夏に、済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』とする吉田の講演内容を伝えたものだった。

 

 吉田は、その1カ月後の57年10月1日付朝日新聞朝刊にも登場する。「朝鮮人こうして連行」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」の見出しが付けられた記事は、ロシアのサハリン残留韓国人・朝鮮人の帰還訴訟で、証人として吉田が語った朝鮮人強制連行の模様を報じた。

 

 さらに58年の秋から冬にかけ、朝日は立て続けに3回、吉田を登場させた。

 

 

 「韓国の丘に謝罪の碑」の見出しの10月19日付夕刊記事は、「『徴用の鬼』と呼ばれた」と自称する吉田が韓国に謝罪の旅に出かけ、謝罪碑を建立することを紹介。11月10日付朝刊の「ひと」欄は、「強制連行、初めて知りました」との声を吉田に寄せた中学三年生がいたとし、「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる」人物として、吉田を取り上げた。

 

 

https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/3/

 そして12月24日付朝刊の記事「たった一人の謝罪」では、謝罪碑を建てた韓国・天安市で「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人です」との吉田のざんげの言葉とあわせて、土下座する吉田の姿を写真で伝えた。

 

 次に吉田に関する記事が頻繁に載るようになるのは、平成に入ってからだ。

 

 「名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅 元動員部長証言」(平成2年6月19日付大阪本社版朝刊)、「木剣ふるい無理やり動員」(3年5月22日付同)、「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」「乳飲み子から母引き裂いた」「日本は今こそ謝罪を」(3年10月10日付同)に続き、夕刊1面コラム「窓 論説委員室から」も4年1月23日付、3月3日付と短期間のうちに吉田を2度、取り上げた。

 

 産経新聞は4年4月30日付朝刊で、吉田証言に疑問を突きつけたが、それから1カ月もたたない5月24日付の朝日新聞朝刊記事は、「今こそ 自ら謝りたい」の見出しで、再び韓国に謝罪の旅に出かける吉田を紹介している。

 

 

 産経新聞は、この記事を含め4年5月以降、吉田を扱った朝日の記事が少なくとも6本あることをマイクロフィルムや縮刷版などで確認した。

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引用終わり

 

 

 これが初出記事を他社である産経新聞が記事にしたもの。残念ながら、この原本を確認することができませんでした。そこで、上の2014年産経新聞の記事を引用しました。

 

 さて、上記の記事を読むと、やはり「問題の吉田証言」は昭和57年9月2日朝日新聞大阪本社版であると考えられます。

 

 縮刷版の記事をそのまま提供します。

 

 

 

 「旧日本軍の侵略を考える市民集会」で吉田清治は『証言』したと記事にあります。その時吉田は「朝鮮人の強制連行の指揮に当たった動員部長」という立場で証言しています。なお、この「旧日本軍の侵略を考える市民集会」は、朝日新聞記事によると「大阪・浪速解放会館」で開催されたとありました。

 

 吉田清治の証言は「虚偽」であるということは1990年代に、すでに指摘があり、本人も認めていたにもかかわらず、朝日新聞は2014年まで認めませんでした。「誤報」ということで幕引きをしています。

 

 1990年代、他紙から吉田証言は誤っていると指摘されながら、それを黙殺し、2014年の吉田調書の「虚偽記事」が暴露されたあとにしぶしぶ吉田証言を『誤報』として認めたように私には思えました。

 とても、「公器」とは思えない態度です。

 

 1989年、珊瑚落書き事件もそうですが、このようなメディアの事実確認もしないで「報道」する態度、また、指摘されても「検証」しない態度。

 これが、このメディアの姿なのでしょう。

 

 

 ウィキペディアには「吉田清治 (文筆家)」という項目がありました。

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 吉田 清治(よしだ せいじ、本名:吉田 雄兎〈よしだ ゆうと〉、1913年〈大正2年〉10月15日 - 2000年〈平成12年〉7月30日)は、日本の文筆家、活動家。

 1980年代に、太平洋戦争中に軍の命令を受け、朝鮮で若い女性を慰安婦にするために自身が強制連行したとする証言を数多く行い、自らそれについての出版物を出した。 坂東忠信によると、その証言は吉田の虚偽・創作だったとされるが、朝日新聞・北海道新聞がこの「吉田証言」を真実として報じたため、後の日韓外交問題(慰安婦問題)の大きな原因となった。

 1996年(平成8年)になって吉田自らが証言は主張を織り交ぜた創作であることを認めたとする主張も元々吉田の証言に否定的・批判的な者からは行われたが、その後十数年の間『朝日新聞』は記事を訂正することはなかった。しかし、2014年(平成26年)に18本の記事を取り消し謝罪した。吉田を担いだ北海道新聞も、裏付け取材ができていなかったことを認めて謝罪し、8本の記事を取り消した

 吉田は韓国やアメリカでも講演を行ない、海外メディアも報道した。

報道ステーションが長男に取材した結果によると、吉田は戦後、下関市で肥料会社を興し、朝鮮戦争の特需もあって一時期は羽振りがよかったという。しかし、10数年後には会社をたたんで生活が苦しくなり、そのような中で原稿用紙を買ってきては週刊誌に投稿するなど執筆活動を始めたという。

 吉田は、1998年(平成10年)頃を最後に消息不明だったが、2014年(平成26年)になって2000年(平成12年)7月に既に死去していたことが判明した。

 吉田の人生の大半は定職につかず、その生活費は息子達(長男)が賄っていたという。

 彼の経歴については不明な点が多い。

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引用一部 一部改変(行頭一文字空け、文献番号削除)

 

 

 

IT mediaビジネスというところにこのような記事がありました。

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https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035.html

窪田順生の時事日想

2014年08月12日 08時15分 公開

 

 朝日新聞が「慰安婦」にまつわる記事を取り消した。

 

 といっても「テキトーな記事を32年も放置してごめんなさい」とかの謝罪の言葉は一切なし。それどころか、ドーンと紙面を割いて行った検証でも、「慰安婦狩りをした」という吉田清治(文筆家:慰安婦のねつ造を認めて、2000年に死去)の証言のみは誤りを認めるが、他は一歩も引かねえぞと“逆ギレ”のような釈明をしている。

 

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 こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。(『朝日新聞』〈8月5日〉)

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 以前この『時事日想』のなかで、「報道」というのは「茶道」や「華道」と同じく厳密な作法があると述べた(関連記事)。それは、いかに頭を下げないでやり過ごすか。世間から叩かれようが、権力者から抗議がこようが、街宣車がワーワー騒ごうが、「取材には自信をもっております」と涼しい顔で切り返す。それこそが「報道」の真骨頂だ。そういう意味では、「さすが家元、けっこうなお手前でした」と唸ってしまうほどの期待を裏切らない記事である。

 

 この「~~という指摘もあります、しかし、~~だけは同意できません」という“朝日話法”を使えば、被害回復などの責任問題をウヤムヤにできるうえ、体面も保つことができる。これから謝罪会見などで朝日の社会部記者に厳しく断罪されるような企業はぜひとも参考にしていただきたい。

 

 

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_2.html

 

ますます謎が深まった

 ただ、そんな朝日の検証記事を読んでみて、ますます謎が深まったことがある。

 

 それは、吉田清治の動機である。どういう目的で、どういう得があって、彼はこのようなデマカセを触れ回ったのか。ガセネタを食わされた“被害者”のような書きぶりなのだから、このあたりのもうちょっと探ってもいいはずなのに、朝日は気持ちいいくらいにスルーしている。

 

 仕方がないので、他の報道を見ていたら興味深い話を見つけた。『SAPIO 9月号』(小学館)に寄稿している元朝日新聞記者であるジャーナリストの前川惠司氏によると、ご自身が川崎支局員だった1980年ごろに吉田清治からネタの売り込みがあったというのだ。

 

 横浜市内の吉田清治のアパートで3~4時間話を聞いたそうで、山口県の労務報国会にいて、朝鮮の慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう:日本統治時代の朝鮮の行政区画のひとつ)「徴用工狩り」をした体験を語ったらしい。ただ、強制連行したという現場を聞いてもはっきりせず、辻つまの合わないところがあったという。

 

 当時からうさん臭さ満点の情報提供者だったというわけだが、特筆すべきはこの時点で後に彼のメシのタネとなる「慰安婦狩り」についてはまったく触れていなかったということだ。つまり、1980年にはまだ“シナリオ”ができていなかったのである。

 

 では、そんな吉田清治が「慰安婦狩り」という物語を創作したのはいつ、なにがきっかけなのか。吉田のことが書かれた記事が朝日で初掲載されたのは1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で行った講演で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とぶちまけた。つまり、シナリオは1980年から1982年の間に練られたということになる。

 

 ご本人もすでに鬼籍に入っているので真相は分からないが、この2年の間に吉田氏にインスパイアを与える「何か」があったと考えるのが自然である。

 

 

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_3.html

 

経歴がほとんどウソ

吉田清治は『悪魔の飽食』(著・森村誠一、角川文庫)に影響を受けたのかもしれない

 いったい何か。個人的には1981年から『しんぶん赤旗』で連載された森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』が関係しているのではないかと思っている。

 

 ご存じのように、旧日本軍で人体実験を行っていたとされる「関東軍731部隊」について赤旗記者の下里正樹氏の取材に基づいたもので「日本軍のおぞましい戦争犯罪」を告発したノンフィクション小説として大きな話題になった。

 

 1963年、吉田は『週刊朝日』の「私の8月15日」というテーマでの懸賞手記に応募して佳作をとっている。早くから戦争体験でメシを食いたいという志向があった。そんな人物が『悪魔の飽食』を目にしたらどう思うだろう。

 

 単純に「悔しい」と思うのではないか。「人体実験」と比べたら、畑仕事をしている朝鮮人を無理矢理トラックにのせて連れ去るなどパンチが弱過ぎる。もっとエグく、もっとインパクトのある戦争犯罪に“脚色”しなければ埋没してしまう。そんな風に思わなかったか。

 

 そう考えると、これまではまったく言及されなかった「慰安婦狩り」がなぜ1982年にポンと飛び出したのかが分かる。ただ、その一方で、吉田清治(本名・吉田雄兎)という人物が単なる詐話師レベルではないほど怪しい人物であることもまた事実だ。

 

 吉田のウソをいち早く見抜いた秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)を読むと、吉田清治という人物の経歴がほとんどウソでかためられていたことが分かる。本人が在籍したと言い張る大学や勤務先には、そのような記録は残っていなかったという。確かに、私自身、下関へ仕事に行った際に時間があったので、吉田が下関市議に出馬したころの住所へ行ってみたが、そこには彼やその一族のことを知る者を見つけることはできなかった。

 

 

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_4.html

 

吉田清治のバックグラウンド

『慰安婦と戦場の性』(著・秦郁彦、新潮選書)に吉田清治ことが詳しく書かれている

 これは一般的な話だが、戦争犯罪を“捏造”する人というのは、なにかしらの政治的なバックがあることが多い。有名なのは、1990年の湾岸戦争で、イラク兵が産婦人科病院で生まれたての乳児300人以上を床に投げ捨てて虐殺したと証言した15歳のクウェート人少女である。

 

 この告発によって“イラク許すまじ”という世論が高まって戦争へと突入したわけだが、後に吉田清治の「慰安婦狩り」と同様に真っ赤なウソだったことが明らかになる。少女は在米クウェート大使の娘さんで、クウェートから世論形成を請け負ったPR会社の書いたシナリオどおりに「イラクの戦争犯罪を目撃した少女」を演じただけだった。だったら、この経歴不明の怪しい男も、なにかしらの依頼を受けて「吉田清治」を演じていたと考えられないか。

 

 1970年ごろに日ソ協会役員をしていた男が80年代になるとまるでなにかの“天啓”を受けたかのように突然、「慰安婦狩り」を触れ回ったのはなぜなのか。

 

 今回、朝日が出した記事は「謝罪」でも「訂正」でもなく、「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という上から目線の解説記事だった。

 

 無知な我々に「慰安婦問題の本質」を教え諭すのもいい。そういう新聞だ。ただ、吉田清治にすべての罪をかぶせるのなら、せめてもうちょっと彼のバックグラウンドを調べて教えてくれないか。

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引用一部

 

 

 少しずつ、記録を残さないといけないと思っています。散逸することを願う人々もいるのでしょうが、その会社はいまだ日本国民に謝罪していません。

 

 

 少し前ですが、興味があって昔の新聞記事を探していました。そこで見つけました。朝日新聞縮刷版復刻版からの記事を紹介します。

 

 

昔は、大政翼賛だったのですね。

 

 

参考資料、引用資料

 

産経新聞WEB版: 「朝日新聞はどう報じたか 初登場昭和55年3月7日付横浜版、女性強制連行の言及なし」, 2014/9/8 07:54, https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/

https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/2/

https://www.sankei.com/article/20140908-E6PCZQZVQ5PRNFIJTKRGMS5KAQ/3/

 

 

窪田順生: 「窪田順生の時事日想」, 2014年08月12日 08時15分, 

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035.html

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_2.html

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_3.html

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1408/12/news035_4.html

 

朝日新聞縮刷版 昭和57年9月号, 通算735号, 編集人 波多野公介, 発行昭和57年10月20日

 

朝日新聞縮刷版 昭和16年12月 1992年9月25日復刻発行: 縮刷版発行者 朝日新聞, 復刻版発行者 高野義夫, ISBN4-8205-2254-X