SHOUT PIT -26ページ目

僕の敵

現時点での僕の最大の敵は心のモヤだ。

 

このモヤは思考、体力、

そしてそれを奪うことによってやる気を奪っていく。

 

つまりは僕に害をなすものなのだ。

 

 

このモヤの正体はわからない。

僕は「邪魔な思考」だと考えている。
劣等感や羞恥心、弱い心が生んだ自我を押さえ込もうとする思考だ。

世の中では批判というものは絶えない。
素人だろうがプロだろうが、アウトドアだろうがインドアだろうが、
会ってようがなかろうが、必ずされるものなのだ。

でも常にされることはない。
少なくとも、自分の中に批判する者を飼ってしまっている人間以上に
批判を受け続ける人間は存在しない。
批判する人間もそこまで暇ではないからだ。

しかし自分の中に飼ってしまったが最後、四六時中批判され続ける。

こうしてる今だって
「クソみたいな性格の癖に何を語っているんだ」
「脳味噌がないんだから我を持たずに頭の良い人に使われてろよ」
と絶え間なく僕の脳に響いている。

なんでそんなこというんだとは思わない。
誰かに言われた台詞でもない。
僕の性格上、当たり前に吐く台詞だと思う。
もっと言ってしまえば両親の着眼点と似てる。
だからこれは神の声でもなければ悪魔の囁きでもない、
妄想でも幻聴でもない。

僕の思考だ。


僕がこういったマイナスの思考を内に抱えるようになったのには
とてもロジカルな理由があると思っている。
そうというのも、自分を責めるような発言には意味があるからだ。

自分を責める発言は自罰であり、
「既にこの人は罰を受けていますよ、だから許して下さいね」
という誠に勝手な考え方の元に起こる思考なのである。

だから常に僕は誰かに許されようとしているということになる。


そんなことが何の意味もないことは知っている。
これは単純かつバカバカしい保身による行為なのである。



ただ、保身なのであればそれでいいじゃないかと思えるのだが、
心の防御というのは諸刃の刃というのか、
それが過度に行われていると生活に異常を来す場合が多い。

そもそも僕自身は自分を責めるのが自然になり過ぎていて、
誰も酷く困っていない内から先手を取って自罰を行ってしまう。
何も怒ってないのに異常に謝られるようなもので、
鬱陶しくなってきてしまう。
それ以前に本当に怒ってたとしても望んでいることは自罰ではない。

周りに対してはそうだし、自分の行動自体も制限される。
右手を上げただけで心に批判されるのだからもう何もできない。


生きづらいことこの上ないのである。



その批判的な思考の集合体がモヤの正体であると仮定している。



このモヤがなければどんなに生き易いだろうと思う。
子供の時はそれに従わなければならないと思っていた。
実際、そのモヤが批判すらできない人間になれば
殴られることも怒られることもなくなるだろうと思ったからだ。
恥ずかしい思いをすることもないし。

まぁ、そんな凄い人間になれるものならそれはそれで良い人生だが。

ただ、そのモヤに褒められることはないのだから、
いくら言うことを聞いたってしょうがないのだ。




僕が幸運なことは、このモヤを敵として認識できたところだ。
「なんだか気分が悪い」「つらい」「しにたい」
そんなものを理由も分からずに延々と感じてるだけなんて
死んでもごめんだ。正直辛い以外の何者でもなかった。

理由が分かるということが大事なのだ。
試行錯誤ができるのだから。


今だってつらい。頭が割れそうに重い。
崩れて潰れてしまいそうだ。

でもそのモヤに形はない。
それこそ、劣等感や不安やその他モロモロが大きくなり過ぎた、
思考のモンスターなのだ。


正体さえ仮定できれば倒そうと思える。
立ち上がれる。勝負の仕方がわかるというものだ。




いつまでも好きなものを好きと言えない格好悪い自分でいたくない。
いつまでも指標がぶれたままの僕ではいたくない。


このモヤが晴れたら、或いは上手く付き合うことができたら、
それがとりあえずの僕の当面の目標だ。

人を軽視する人間は既に墓穴に入っている

「意外と世には気が付かない人間ばかり」

と父親はよく言う。

 

子供の頃はそんな話を聞きながら「確かに」と思っていた。

実際、悪質な人間と少し口が悪い人間の区別がつかずに

両方とも迫害したりする人間は多いし、

常識かと思ってた情報を知らないパンピは多い。

 

そんな父親はバラエティが昔から嫌いで見る度に苦言を呈する。

父親もテレビ離れしてから久しいので低俗バラエティしか

視る機会がないのが可哀想なところだが、適当に聞き流す。

 

しかし、苦言はいいのだが、昨日のめちゃイケの

岡村が猫避け水を飲んだ過去VTRで

「水が綺麗過ぎる。本物はもっと汚い。(だからやらせ)」

的なことを言っていて思わず絶句してしまった。

 

 

芸人のギャグでやらせもクソもどうでもよくね??????

 

 

フルマラソンの最中に猫避け水を飲んじゃうっていう図が面白いんだろ?

そもそもフルマラソンの最中に何か面白いことしようとしてる

岡村の図っていうのも普通に面白いし。

 

そして彼らの目的は「面白くすること」だろ。

 

猫避け水を飲むことは目的じゃないんだから本物だろうが偽物だろうが

どっちだっていいんだよ。

『猫避け水』という前提として視るもんだろこういうものは。

たとえ熱くなくても熱湯リアクションするし、
怪我して痛くともつまらないことだったら隠すし、面白きゃ出すし。
そういう技術で飯食ってるのが芸人じゃないのか?
そんな彼らに対しての評価なんて面白いか否かの二択だろ。

楽しみ方がわからないっていうのも可哀想なものだ。
わからなくていいから水を注すのだけは勘弁願いたい。


まぁ、自分の言葉に間違いがないことは体現したよな。

捨てる人がいれば拾う人もいる

母親は目の前の喧嘩を飛び火させる傾向がある。

 

今日は母親に愚弟が

「漫画家は自意識過剰だ」

的なことを言ったらしい。

 

母親が漫画を描くことに言ったのだと解釈したが、

ことの真相は僕は見ていないので知らない。

 

発端になったその発言を僕が聞き出すのに大分時間を要した。

というのも、僕が気付いてから母親が話してたのは

「クリエイターは経理の人をバカにしないのに経理の人はする」

という話だった。

 

 

いやぁ………別に人によるんじゃないかなぁ………。

 

 

まぁそういう話になったのも、

弟が漫画家をバカにするのは風潮被害によるものだと思ったことから。

弟が誰にそれを聞いたのか母親に訪ねたら母方の祖父、父方の祖父母、

そして我らが父親だという。それは弟から母親が聞いたらしい。

 

 

………経理の人間いねぇ………。

リーマンすらいねぇ………。

 

 

一体どこから経理の人間が出て来たのか謎だが、

蒲田くんをデザインした前田さんが数学が苦手だかなんだからしく、

その人は経理の人を批判しないだろうという話がどうやらあったようだ。

 

 

まぁ……しないだろうけど……憶測だよな………。

実際対面させたわけでも本人から聞いたわけでもないし………。

いや、そういうエピソードがあるのか自分は知らないけど………。

 

 

そしていつの間にか「経理vsクリエイター」という図ができていた訳だ。

 

 

「罪を憎んで人を憎まず、その風潮の方をどうにかしたい」

と一見立派なことを言っていた母親だが、

そもそもその風潮は弱まりつつあるし、別に今は誰も問題視してない。

どんな仕事をしていても批判する人間はするし、

僕自身なんかはそれはその人間同士の問題だと思ってしまう。

 

 

というか、美大に行ってた身なのに

「高望み」「自意識過剰」とか言われたことが頭に来たって

それもう経理の人、なんにも関係ない。

 

後、それで飯食ってない時点では素質があったところで

そう言われても仕方が無いところはある。

 

確かに心にくるし、気分が落ち込むが、

こればかりは多少なりとも成功しなければ

何を反論したところで説得力はない。

 

若い頃から漫画家を目指していながら未だ大成していない、
しかし、編集の正社や保育士補助のパートでは稼げる。
この現状だけを見たら「漫画しかできない」を納得させるのは難しいように思う。

全てのステータスが低過ぎてその中で強いて挙げるとしたら漫画っていうことを言いたいのかもしれないが、普段からの発言(自分はしっかり稼いでいた等)からすると正直漫画以外の方がマトモにできるのではと思えてしまう。

気持ちが楽とかそういう話だったらみんな下呂吐きながら働いてるから
別に気持ちが楽な仕事に就いてる人も多いわけじゃないんじゃないかな。

漫画家というのは漫画が描ければいいだけじゃない。
納期を守れる、スタッフとの連携がある程度取れる、
連載をするなら体力は必要だし、健康を自主的に維持しなければならない。

全ての環境を打破して漫画というものが初めて誌面に載り続ける。
載せ続けられることこそが漫画家という生き物なのだと思う。
一発面白い漫画を載せればいいだけの仕事じゃない。

信用が出来上がった玄人なら我侭も利くだろうが、
少なくとも新人である以上はブラックな仕事だと思う。
すべてを一人でやりとげられないといけないのだから。

プロを目指しているのなら、現状の結果で評価されるのは仕方ないと思えてしまう。
勿論、批判を推奨しているわけではない。
だけど、まったくなくすことはできない。
それが身内だろうがなんだろうが、言う奴は言うのだ。


腹は立つと思う。悲しくなると思う。
だが、どんな悲劇に足を引っ張られたとしても、
人は現状を見て人を判断するのだ。
それが当事者であってもそうだと思う。

僕はそこまで人に希望を持っていない。
人をバカにしていないと自分を保てない人もいるのだ。
それだって、同じ弱い人間なのだから。
クソみてぇな奴だなと思って放置が一番楽である。



一番よくないのは、
殴られてもいない人間に殴られたと錯覚することだ。
味方が減ってしまう。


うーん。そうだなぁ。
「高望み」といわれてしまうっていうのは
別に漫画家だからとか経理だからとかじゃなくて、
その職種に見合った能力を持ってると思われてないって
だけじゃないのかな。

作品見せてやりゃ少しは態度が変化するんじゃないかね。



って、本人に言ったところで1mmも伝わらないだろうから、
僕が冷静に自分を客観視する材料にさせて頂きますね。
いつもありがとうございます。

俺の愚痴

バカでバカで嫌になる

 

不真面目で面倒臭がりで、

そのくせのらりくらりと生きられない小心者。

 

酷く困ったことがないくせにいつも悶々と憂鬱を抱えてる。

脳味噌が勝手に絶望して常に疲れている。

 

そんなんだから心に余裕がなくて失敗を連発する。

人を遠ざける。

 

 

そうやって出来た悪い状況だって、

頑張りさえすれば打破できるものは沢山あるのに。

ただ、しっかりやっていればいいだけなのに。

 

体が鉛のように重くて胸につかえがあって、

それを振りほどくようにして立ち上がっても

何をしたらいいか検討がつかない。

 

 

 

泣き叫んで喚き散らして退行の限りを尽くした後に

疲れきってその場で眠ってしまいたい。

そのままずっと寝てしまいたい。

 

 

何もしてないのに頭からかぶさってくる

じんわりとした重みはなんだろう。

重い、人がのしかかっているような。

 

 

 

つまらないことに気が散っているのだろうか。

つまらないことだとわかっているのに何故散るのだろうか。

気にする程のことはないことを気にして気を病むなんて、

あまりにもばかばかしいじゃないか。

 

自分の中でそれが情報であって知識になっていないということだろうか。

一体どうやったら知識になるのだろうか。

 

どうしたら気にならなくなるのだろうか。

どうしたら体が重くなくなるのだろうか。

 

 

笑い飛ばせ無視しろやれるだけのことをやればいい。

全部やっていたつもりだったのに、できていなかったのだろうか。

僕にとってそれはやれないことなのだろうか。

 

 

 

僕にできないことが、

気にすることをやめることだったら、

一体どうやって立ち上がれば良いんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

やめたい。

わかっていても正義になろうとする者たちへ

その昔、ヒーローを志して、その道に絶望した。

そんな人間の絶望を綴らせて下さい。

 

 

小学生の頃、そいつは特別強いという程ではなかったが、

勢いと負けん気があったものだから喧嘩がそこそこ強かった。

そんな彼はアニメやハリウッド映画が好きで、

世のため人の為、自分の正義を突き通す人間に憧れていた。

だからこそ、その勢いと負けん気でもって許せない奴らと喧嘩していた。

 

女子を虐めた男子を女子トイレにぶち込んだり、

人様の靴を奪って逃走したいたずらっ子を地の果てまで追い回したり、

遊具の上でエアガンをバラまいてたガキ共が女の子に怪我をさせたので遊具から引きずり下ろして謝るまでぶん殴ったりしていた。

 

彼の父親の口癖が「バカは殴らねぇとわからねぇ」だったので、

彼自身も悪いことをした人間は制裁が必要だと思っていた。

然るべき処置だと思い込んでいた。

勿論、今でも時と場合によるとは思う。

 

ある日、クラスメイトの男の子が自分の妹に対して

「あんな奴、妹なんかじゃない」と宣った。

彼はその時、そのクラスメイトの妹のことは知らなかったが、

そんなことをいうものじゃないとカッときてしまった。

「そんな酷いことをいう兄があるか」と殴った。

しかし、クラスメイトは泣きじゃくってはいても、訂正はしなかった。

 

その後、小学も5年に上がるとクラス替えが行われた。

何の因果か泣かせたクラスメイトの妹と同じクラスになった。

 

彼らは双子の兄妹だったのだ。

 

妹の方はそこの事実を知ってか知らずか、

やたら彼にやたらとつきまとった。

兄の方も少々人懐っこくて彼につきまとっていたが、

それにも増してつきまとう。

 

この兄妹は少々要領が良くないところがあって、

怠惰な担任もこれはいいと彼にやたらと押し付けていった。

 

彼も最初の内は面倒こそみてやってはいたが、

彼自身もまたただの小学生なので段々に疲れていってしまった。

 

そうというのも所構わず付きまとわられては、

その場で起きた事故の責任をすべて負わされるからである。

マット運動をするから離れていろというのに

クラスメイトの妹は近付いては彼に蹴られる。

こんな当たり屋みたいなことまで責任を負わされては堪ったものじゃない。

 

そう彼女を疎ましく思った瞬間に、

彼は兄のクラスメイトを殴ったことを思い出した。

 

妹が兄にどう接していたかなんてわからない。

だから憶測でしかないのだけれど、家族内のことだ、

家族の贔屓なんかもあるだろうし妹は構ってほしいだろうし、

時々疲れて愚痴ることぐらいあってもいいじゃないか。

 

彼にはその時、きょうだいがいなかったものだから、

クラスメイトの兄の気持ちがわからなかったんでしょうね。

妹と接して初めて「大変だったのかもしれない」と気付いたんですね。

 

その時、あまりにも自分は愚かだったと彼は落ち込んでしまったんです。

ずっと、良いことをしたと思っていたのですから。

 

自分の正義に疑問はありませんでした。

自分の家族に、酷いことをいうものじゃない。

それは自分に対しても牙を剥くものだ。

 

しかし、その正義がクラスメイトの兄を傷付けてしまった。

追い詰めてしまったかもしれない。

幸いにもそれが酷い傷にならずに済んだことが

彼にとっても救いでありましたが。

 

正義とはぶつけ合うものであって、

すべての人を幸せにするものではないのだとそこで思いました。

正義をぶつけること自体は否定はできないけれど、

その行為によって人を傷付けている自覚は必要だと、

思うようになったのです。

 

 

この世には、かつての彼が沢山います。

良心や正義感からくるものですから、

わかっていても止められない人だっているでしょう。

過激な人は悪い奴と見れば気の済むまで叩きのめそうとします。

 

それがどれだけ人を苦しめているのか。

どれだけ正義の生贄としての悪が生産されているか。

 

正義とは有象無象の大衆です。

大衆に怯え、憎めばそいつは悪になります。

 

大衆にとって悪は、殺していい存在なんです。

 

 

 

これって誰でも悪になるんじゃないですか。

少しでも怯えたら。少しでも憎んだら。

学校の虐めのようにターゲットにされるだけで。

簡単に悪になってしまうのではないでしょうか。

 

それを決めるのは本人ではなくて、いつでも大衆です。

悪を悪たらしめるのは、いつでも大衆なのです。

 

 

正義が悪を作り出している。

正義があるから悪が存在する。

 

 

彼が憧れていたものとはなんだったのか。

彼が求めていたのは正義が立つ為の踏み台じゃない。

自分がヒーローとして脚光を浴びたいのではなくて、

ただ、悲しみがなくなればいいと、考えていただけだったのに。

 

 

彼はその日から自分の指針を失ってしまいました。

でも、やはり、彼の正義感は直りはしないのですね。

心のどこかで、いい方法はないかとふと考えてしまうのです。

 

しかしこのジレンマは簡単に解決はできやしない。

 

一番良さそうに思えるのは「赦し」ですが、

それが上手にできる人間は限られている。

許すことができない人もいれば、許した先でバカを見る人もいる。

よっぽど力があるか、不死身でもなけりゃ下手に許せない。

世知辛い世の中です。

 

 

 

人を悪とした瞬間から、その人間は悪を生み出した悪になるのです。
競争相手や、対戦相手とは違う、悪を作ってしまったらです。

悪い奴だから罵っていい。
悪い奴だから殴っていい。
悪い奴だから殺していい。

その悪にさえ関係のない鬱憤を晴らそうという気配すら感じます。



僕は勧善懲悪のアニメは好きです。
だからこの世からその歴史すら消そうとは思いません。
むしろ覚えていて何度でも考えを洗練していっていきたい。

いつか、こんな悲しいいたちごっこが、
フィクションの中だけで教訓として語られるようになりますように。



正義と名乗り悪になった彼が、もう二度と生まれませんように。