シュウカツの季節ですね
就活と鬱のミルフィーユを見ながら笑う時期にきましたね。
もう春も終わろうとしてるよ、肉ですこんにちは。
就活
↓
会社「お前を養える会社はない」
↓
しぬしかない
↓
「しんじゃだめだよ!簡単なことでもいいからやってみて!」
↓
簡単なことならできるよ!
↓
会社「そんなのは誰でも出来るので帰ってどうぞ」
↓
しぬしかない
↓
「しんじゃだめだよ!」(以下無限ループ)
弱い人間を弄んで楽しむ社会人が多くて今日も世界が平和ですね。
就活に疲れたら終活して、元気出たらまた頑張ろ。
いいよ。「しにたい」って思っても。
思ったからって死ななきゃいけないわけじゃないし。
別に本当に死んだっていいだろうし。
心の底から湧いた感情を否定する方が不健全だよ。
それじゃ、まだまだの人は引き続き終活、楽しんで。
陰謀論者に限った話ではないけれど
最近、陰謀論好きな人が近くにいて話をよく聞く肉です。こんばんは。
陰謀論っていうのもなんか否定的で好きじゃないんですが、
なんて呼んだらいいのかわからないしそれでいいらしいので陰謀論者って呼びますね。
はん、まあ、今からするのは個人叩きなので偽善的な前置きはさておき。
陰謀論者の中にはちょっと発言が過激な人がいて、
僕の身近な個人と、後ネサフで引っ掛かる奴は大抵コレなんですが。
根拠の無い無意識disをしてくるところ、ホント損してると思いますよ。
自分の意見を通したいという気持ちと、
まあその内容から少し虐めにあってきた故の卑屈さがあるのでしょうが、
まったく関係ないところに喧嘩売るメリットが僕にはよくわかりません。
というのも、彼ら、読んでもいないサブカル叩きするんですよね。
確かに溢れてるから一々把握できないだろうし、
確かにハロウィンだの秘密結社マークだの深い考えもなしに散りばめられてるものは多いと思います。
だからって一括りにすんなって思いますが。
「一部の作品」とか適当に言っておけば要らぬ荒波はないでしょうに。
なんでそういう気遣いができないのかな。
自分どころか陰謀論者全体の発言力に影響するんだから考えた方が良いよ。
陰謀論者の発言力を低下させたい蝙蝠の仕業かなとも思ったんですが、
明らかに最近絆されましたっていう感じの身近な人間がソレなので
なんていうか陰謀論者も教育しっかりしとけよ闘えねぇぞって思ったよ。
悪魔をモチーフにしてたって、それを否定する作品はあるだろう。
これも一時期ついったで発言してた人いたが。
差別主義者をボコボコにする漫画描いたら差別主義者の発言が差別的だからって修正くらったっていう話。
そりゃ差別的だろうよ。差別主義者なんだから。
陰謀論者方も「ハロウィンは危険だ!」って言う記事描く時に
しっかり悪魔の写真とかジャック・オ・ランタンの写真とか使ってんじゃん。
それだよそれ。同じような見方したら100%悪魔崇拝者だからな。
まともに見えたら消されるからキ印気取ってるとかいうけどさ、
味方が増えなきゃ本末転倒なんじゃない?
気に入らないもの全部敵みたいに扱ってるわけじゃないと思うけど、
そう見えちゃうんだよ根拠の無いdisしてると。
いっそ作品名あげるくらいすればいいじゃんそんなら。
アンチがこぞって仲間になるよ。
巨大な敵に勝つ為とか、可哀想な民草を助ける為とか、
理由は人によりけりだろうけど。
目的に沿った闘い方をするべきだとは思っちゃうな。
そもそもそういった枠組みにハマったやり方が嫌いかもしれないけれどね。
無法地帯と何が違うのか明確にしないといつまでも怪しい集団でしょ。
しっかりやってる陰謀論者もいるだろうから、
これはあくまで目に付いた人の話ね。
批判するならちゃんと読め。
読んでからメタメタに批判しろ。以上。
僕の故郷
東京が好きというと「都会思考」と言われて大変違和感がある肉です。
深夜ばんわ。
久々に類友クソ人間と話したんですけど、
「東京人ってホントの意味ではいない。地方から人が集まってるだけ。」
と言ってきたんですよ。
うんまあ、そういう気持ちもわかるよね。
少し前までは実際そうだっただろうし。
しかしもう世は平成も終わろうとしているんですよ。
僕が高校の頃から既に東京っ子というものが特番されるくらいだったんです。
早い人ならもうおばあちゃんの代から東京っ子ですよ。
東京生まれの東京育ち。
僕の愚弟だってそうですよ。
僕は残念ながら埼玉生まれなので(1年だけ育った)、
純粋東京人ではないですが。
それが悔しいって思うくらい物心つく前から僕は東京育ちです。
1年ぽっちいた程度の記憶に無い世界より、
ビルの隙間の間隔すらわかる東京の方が僕にとっては故郷なんです。
偶に出会う非国民奴が「田舎主義」をひけらかして
彼ら曰くの「都会派w」を遅れてる人間を見るかのような態度は本当に
ロハス過ぎてウザつら過ぎます。
僕は別に東京が「都会」だから好きなんじゃねぇよ。
つーか俺が住んでるところ別に東京の中じゃ都会じゃねぇし。
都民として都を愛してるんだけど。
その類友クソ人間は俺を親父の故郷の仲間に引き込んでましたが。
確かに遊びには行くよ。累計一年経ってるかさえ怪しい程度に。
なあ、それって「故郷」と呼べるのか?
だったら俺は大阪によく遊びにいくがそこも故郷になるのか?
アメリカも故郷か?俺は一体何度生まれ直したんだ?
「第2の故郷」とかでもないんだよ。
僕の記憶にあるのはいつだって東京なんだよ。
ずっと東京にいるんだよ。東京で生きてたんだよ。
俺は都民だし、都民じゃなかったことなんて、人生の1%にも満たない。
わかってる人間ならまだしも、
都会の喧噪から逃げたいだけの非国民が、
どこでもいいからいい感じの田舎を指して「故郷」と呼ぶ。
バーーーーーーーーーーーーーッカじゃねぇの???
っていうかオメーはそれでいいから俺を巻き込むな。一緒にするな。
俺は愛国心が強いんだよ。故郷を愛してるので田舎とかどうでもいいです。
喧噪もネオンも人ごみも俺は大好きだよ。
っていうかそれが無い東京だってあるしな。
お前、東京には奥多摩という大自然があるんだぜ?
中央線1本で田舎から都心まで行きたい放題なんだよ。
何でも博覧会の街を舐めるんじゃねーぞ引き蘢りが。
田舎者は都会に憧れ、都会者は田舎に憧れてバランスがいい様でよかった。
嘘ごめん都会の田舎思考人間は引き蘢りだから田舎に行かないね。ごめんね。
流石俺の類友クソ人間は息をする様に人の神経を逆撫でていくな。
「バニーの格好する人って恥ずかしくないのか?」という疑問に
全力で対応してたら突っ込みきれなかったものを一つを垂れ流すよ。
鬱憤を晴らしてるだけなので別にロハスに攻撃意思はないです。
っていうか全力で殴られたのは僕だよ。
テメーの無知と意見を垂れ流す時は独りで静かに満たされながらやってくれ。
特に「脊椎反応で言っただけから深い意味はないんだ」とか
クソみてーな言い訳して意見を闘わせる意思もないような戯言は。
俺も闘う気はねーよ。面倒臭ぇもん。だからここにいるんだよ。
どんなに自分が意思を持ってなかろうが、
言霊に力がある以上は気を引き締めてその臭い口を開けよ。馬鹿か。
勝手に田舎にでも飛んでカナブン喉に詰まらせて死にかけろ。
これが『やおい○○○』
自分の出す知識を微塵も信用されない肉です、こんばんは。
今日は母親と帯刀時の刃の向きについて意見が分かれました。
僕は大河ドラマで武士にハマって厨房の部活は剣道部だったので、
何となく感覚的に「帯刀時の刃は上」と記憶してたのだが、
母親は頑なに「刃は下」を押してきた。
僕もメチャクチャ詳しい方ではないし、
刀に対してもブランクがあったので少々押されてしまったのだが、
調べ直したら答えは「刃は上」。僕の感覚がまともでよかったです。
その検索結果を見せても、納得はしてくれたものの
半信半疑なのか単純に恥ずかしかったのかずっとスクロールして
画像の山を眺めながら確認の言葉を壊れたレコードのように垂れ流していました。
まあ、まったくの間違いという訳ではないけれど。
大雑把に言えば「太刀は下」「打刀は上」という分類。
剣道は竹刀が打刀、木刀が太刀に当たるので試合と型で帯刀が変わる。
稽古の時に口を酸っぱくして「試合と型は逆」と教わるので
ふわふわとしてはいたけれど感覚的に覚えていたのだろう。
まー、母親は新撰組オタクだったし自信…
というかプライドがあったのかもしれないが。
文献やフィクション映像だけで得た情報と
それにプラス体験して得た知識。
どっちが信憑性高いか冷静に考えればわかるのに
何故あんなに頑なに自信たっぷりだったのか謎である。
単純に俺に信用がないんだと思うけど。
これでよく「信用してる信じて」みたいなこと言えるよなって思う。
実際の生活で微塵も信用されてねぇのにそんな嘘が信じられるかよって。
自分もよく「体験に勝る知識はない」とか宣ってらしたけれど、
ホント、特大ブーメランってこういうことをいうんだよな。
「お前るろ剣で勘違いしてるんだよ」とかまさにそれ。
包丁まで持ち出して下だと喚いてたぞ。
そりゃ包丁じゃわからんよな。短小だもん。
刀といいちんこといい逆に覚えられ過ぎるよ。
あべこべくるくるぱー
僕は自分の意見を言うのがとても苦手だ。
説明というものがとにかく不得意なのだと思う。
上手く伝えられないとかいうレベルじゃない。
先ず、頭の中で説明すべきことがまとめられないのだ。
特に「自分の意見」という曖昧なものは。
「色々な人の気持ちを理解しろ」という誰もが言ってきた言葉を
僕は馬鹿真面目に取ってしまったらしい。
これに限ったことではないが僕は言葉というものをそのまま取ってしまう。
この場合だと意見を複数持つことになる。
例えば「バナナは好きか」という問いに対して。
「好き」と「嫌い」と「どちらともいえない」とか諸々。
それらを何の甲乙もなく意見として脳が弾き出す。
それらはすべて僕の意見なんだ。
バナナの美味いと思うところはあるし、不味いと思うところもある。
結局どっちでもいいような気もするし、どっちよりのグレーか悩む。
どれもわかるし、どれもわからない。
なんて感じのことを言うと「解離的だ」と
何故かメチャクチャ起こられるんだけど、何故怒られているのかわからない。
怒ってる人の気持ちはわかるけれど。うざったいもんな。
でも僕にとってはこれが生まれた頃からの思考回路なんだ。
「意見が複数ある」という状況が許されないから僕には「意見がない」んだ。
実際、どれを選べばいいかわからない。
すごくつらい。
誰も理解を示してくれないどころかすごく怒ってくる。
酷く頭が痛くなる。
みんなだって言ってることが滅茶苦茶だったり
この前と意見が180°違ったりてんでバラバラなのに。
バラバラのまま切り抜ける嘘吐きが許される世界。
それはいいけど、それで詐欺に文句言ってるの意味わからないよね。
この世界で詐欺師じゃない人なんて社会不適合者だけじゃん。
僕は思考を言語と言語じゃないものでする。当たり前。
表面に出て来るものが言語で出て来ないものが言語じゃないものだ。
言語じゃないものは表現できない。言語じゃないから。
主に人は言語じゃないもので思考してる。
僕は言語で表現できるものなんて嘘っぱちだと思ってるから、
言語で表現できないものに重きを置いてしまっている。
だから自分の意見というものに自信が持てないんだと思う。違うから。
もっと酷いことに僕は言語化してしまうと心が離れてしまう。
「バナナが好き」と言ってしまうと、「バナナが好き」を失う。
つまり、「嫌い」か「どちらでもない」みたいなのが残る。
もう表現したらどうでもいいかのように信念として存在しない。
簡単に言えば「天の邪鬼」というのだろうか。
別に逆のことを言う機械的なものではないけれど。
最近の僕は無理矢理意見とやらをまとめようとしている。
そうじゃないと仕事にならないからだ。
でもそれは偽りの僕であって大変ストレスだ。
「ありのままの自分を出せ」「自分の意見を言えば良い」
と優しい周りは言うけれど。
信頼してそれを出したら拒絶するんじゃないか。
ありのままの僕は「わけのわからない僕」なんだ。
いってることがあべこべで、心がコロコロ変わるというところが不変的。
「何がやりたいのかわからない」「整理してから話して」
ほら結局、ありのままの僕は存在していてはいけないんじゃないか。
嘘吐き。嘘吐き。梯子外しが大好きなサディスト共。
昔はそんな僕を恥じて、申し訳ないと思って、直そうと努力してたけれど。
そもそもなんで直さなきゃいけないんだ?
なんで僕だけ僕のままじゃいけないんだ?
僕が欠陥品だから?違うだろ?
僕からみたらお前らの方が欠陥品だよ。
感情が欠落して一つの意思しか持てないなんて。可哀想に。
いつかあべこべでわけのわからない僕を出しても生きられてるような
そんな世界を見てみたいな。見たことない世界だから全然想像できないけど。
きっと狂ってて面白い。
わけがわからないってずっと笑える世界だよ。
見たことないから、夢に見るのも難しい。
説明も難しい。
僕は夢まで狂ってる。