1月にいごもり祭というのに行ってきています(^_^;)💦


このページは概要?とその前の儀式についてのみまとめました💦

本編はあとで…💦💦



居籠祭とは、「雍州府志」に『毎年、正月初の申の日より亥の日に至りて、四箇日の間、神事を修す。相伝ふ、この間、悪鬼遊行す。児女・雞犬・牛馬に至りて、これに触るるときは祟ありと。故に、あらかじめ児女および六畜を他の村に遣りて、しかうして男子のみ家にあり。しかれども、声を揚げず。およそ四箇日の間、用ゆるところの物、酒食・菜肉に至りて、あらかじめこれを経営す。門戸、開闔の音を禁ず。故に、席を戸に掲けてこれを垂る。民間に、これを居籠といふ。( 「雍州府志」 立川美彦編 臨川書店 平成9年4月30日 P101)』とする音無のお祭です。


川向こうの涌出宮でも同様の名前のお祭りが行われ有名ですが、昔は祝園のほうが有名だったんじゃないか雰囲気ありますw

ちなみに 「雍州府志」 には今では無いような覆面の話とか神輿の話も載っています。

また、今は「もうでござい」という掛け声も、「やいごみよ」という掛け声という記載になっています。

 

『亥の日、旅所に神幸。社司、片帛をもって口鼻を覆ふ。これを覆面といふ。人気をして神輿に触れしめざらんことを欲してなり。手に榊を持ちて従ひ行く。また、五穀の雑種、各々一器に盛り、人をしてこれを持ち携へしむ。また、鋤・鍬等の農器、農民、各々これを携へ、後に従ひて供奉す。神輿、旅所に移りて後、諸民、大いに、やいごみよ々々々々々と呼ばふ。これ,混雑の謂か。。(同上引用)

 

社記によれば「武埴安彦討伐の砌より、その悪霊この地に留まり庶民災害仕故、悪霊退散その後例年に申酉戌三日、氏子一同鳴物炊烟を停止昼夜斎戒厳守の神事執行、これいごもりの神事なり」とされています。

武埴安彦討伐については、まぁあれです。ネットで調べれば出てきますw←投げやり。


私の行ったのは1月の3日間に行われるお祭りのうち、12日(酉)・13日(戌)に行われたお祭りだけでしたが、その、12日に行われた松明の儀につかう松明は、既に12月中に用意されます。

「祝園神社由緒沿革といごもり祭」に12月の行事について記載があるのでこれも引用しておきます。

 『まず、いごもり祭の第一の行事は、十二月の申の日(この申の日も前記のように数える)の早朝より拝殿で氏子の代表松明持ちと、宮司、助人等で、大松明一、小松明二を作成する。大松明は青竹十二本を長さ六・五メートルに切断したものを八ツ割りにし九十六本にする。その内、小松明用に六本を別にしておき、九十本を敷き並べ豆木を入れ敷き並べた竹で包み十二ヵ所を縄で括って、周り一・五メートル、重さ約七十キログラム程度に仕上げる。小松明は前記別にした六本を半分に切断し十二本にする。六本をひとつ分とし、前記のように豆木を入れ六ヶ所を縄で括り、同じものを二本作成する。出来上がりの大松明と小松明一本は拝殿の北側につるし、残る一本の小松明は拝殿の南側に置き、当日の午後六時頃より本殿で発火された浄火でこの小松明に拝殿で点火し、宮司がこの松明を持って風呂の井に神幸し神事が行われる。これを御神祭という。

 御神幸前後には風呂の井並びに拝殿前に外部の人その他の進入を防ぐ為に鉾が立てられる。この御神祭より氏子から選出された松明奉持者と宮司は不浄な物に触れる事なく斎戒沐浴を行う。一月の申の日の三日前より宮司は神社にこもり、氏子の代表松明奉持者は前日より宮司と共に昼夜斎戒沐浴を厳にし、申の日(初日)を迎える。(「祝園神社由緒沿革といごもり祭」(『精華町の史跡と民俗』収録 P69~82 K382))』

 

井上頼寿の「改訂 京都民俗志」にさらに詳しい記載があるのでこちらも引用しておきます。

『居籠祭の前儀

居籠祭には、その祭り以前に行なう儀がある。それについて簡単に記す。

 祝園前儀 十二月の申の日におかん祭とて居籠の第一日と同様、風呂の井に神職が行く儀があり、このとき境内の中部の盛り砂の上に榊の枝をさす。その他には特記のことがない。

前儀を「榊さし」と呼ぶところは広くあって、これもその形式に属するわけであるが、ただ注意すべきはおかん祭のときに限って、居籠の第一日同様の簡素な草履を神職がはく習いであることである。 「改訂 京都民俗志」(井上頼寿 平凡社P295)」』

 

こちらの12月のお祭りについても見れるものならぜひ見てみたいですね。


1月のお祭りは申の日から3日間(1月中に申の日が3回ある年は中の申の日、2回の年は初めの申の日からいごもりに入る)という日程ですニヤリ来年も行きたいけど、何日になるのかちょっと未確認(;´∀`)





はい、ここから本編です(●´ω`●)www




そしてページを変えますwww


年末から勧請縄にハマっていて、京都府内ならどこに行けば見れるのか調べていたのですが、その過程で知った井平尾のオコナイ行事を見学させていただきましたニコニコ
 
勧請縄はざっくり言うと、村域の川や道、神社境内に飾られたりして悪いものが入ってこないようにするものです。道切り・辻切り・鳥潜らずなどと言われます。
 
 
 
 
去年、木津川周辺には何回か行ってます。その時は京田辺で電チャリを借りて南下していたのですが、ふと、「奈良から行ったほうが近いんじゃね?」っと思いたち、今回は奈良から北上ルートで行ってみましたニコニコ
 
8時30分に奈良駅でチャリを借り、44号を北上……と、思ったのですが相変わらず方向音痴で大幅に道を間違え上狛へたどり着く💦
 
っと、その前に、どうせ道間違えたから…っと鹿背山の勧請縄の様子を見ておく……。
 
 
 
やっぱまだでした。古いままで朽ちていましたね(>_<。)
ここがいつ掛け変えるのか調査中……
 
 
途中、御霊神社の前を通り過ぎました。
鳥居に「この低さで大丈夫なんだろうか?」っと思う注連縄が張ってある。
 
縄に榊とユズリハ?と裏白を突っ指すタイプの注連縄。
 
 
 
163号は前に山城郷土資料館に行った時に通って、自転車では通りたくないなと思っていたにもかかわらず、今回やむを得ず163号で道を修正する事に💦
 
木津川沿いの細い道なのにダンプカーが沢山往来する…危険なところでした…
 
で、やっとこ井平尾へ到着。
国道から一歩入ると古い民家が並んでいる一角に……地図を見ながらどんどん入ります。
 
 
春日神社の脇へ。
ネット情報だとここへ勧請縄がかけられるそうですが、先ほどの鹿背山の勧請縄と違ってここのは古いのが下がっているわけでもなく、完全撤去でした。
(そういえば、古いのは何処においてあったんだろう?どんと焼きもこの境内でやるというのでそのへんに保管して焼き待ちだったんだと思うのだけど。)
 
 
 
春日神社。
祭神は天津児屋根命。
加茂町内で一番古い室町時代の宝徳2年(1450)の棟札が見つかっているそうです。
隣に神宮寺があったのだけど明治の時に無くなって、その跡が横の広場になっているそうです。(加茂町史に砂まきするって書いてあったけど流石に5日の時点では見えず💦)
 
 
 
集落をちょっと進んで、東福寺へ。
東福寺の階段。とても長くて急…💦
 
地図上でみただけではわからない高低差でしたが背後にある山肌のおそらく地元の方のお墓であろう墓達に、なるほどと思いながら階段を登ると、やってました。
 
 
勧請縄作り。
 
 
 
道に迷ったりした関係でたどり着くのが遅くなったため、勧請縄作りはもはや最終段階。(10時半くらい。)
 
 
小さな藁の束を三つ編みっぽくして太い縄にしていきます。
 
 
「し…写真とっても?!」っと聞くと快い返事…ついでに何処の方だか聞かれますw
「東京から…」っと言うと皆さん驚きw
そうよねーwww
「ブログやってて…」って話をします…。
「炎上しない程度にこんなんやってるんだよと宣伝してー」との事。有り難い(^^)
 
 
そうこうしているうちに、大きな縄が出来上がりました。
 
緑の葉っぱのついた松と樫で出来た束(下げ(小勧請))とか竹の弓矢とかはもう作られていて(五人衆が作って持ってくるとか…そのシーン見逃しました・・・。)縄が出来たら頭がどっちか確認しながら寺の軒下へトグロを巻くように置かれました。
 
 
曰く、藁の穂の先の向く方向が頭なのだとか。
→こちらの記述に関して、五人衆の方々が写真やネットで調べ、「五人衆の協議の結果、頭は太い方(切り株側)尾は細い方(穂先側)に統一された」旨、
後ほどメールで連絡がありました。
調べたり御連絡を下さってお手数をおかけしたのをお詫びすると共に、感謝いましたます!ラブラブ
 
縄の上に。小勧請を乗せ、弓矢を立てて飾ります。
 
 
 
 
その後、しばらく歓談w
 
「花と鬼と仏ー春の民俗行事オコナイ(京都府立山城郷土資料館1999.10)P29」によると、春日神社の宮座は堂の講と宮の講があって、オコナイは堂の講の行事らしいです。
本当は堂の講の方(男性)のみの行事のようなのですがNPO法人ふるさと案内「かも」の方御二人女性がいらしたので心強かったです(^_^;)
しかも、三宅安兵衛遺志碑の話で盛り上がるとは?!
 
 
このお寺も入れるのはこういう時だけ。色々見て回りますニコニコ
老婆講っていうおばあちゃんだけの講が昔あって、その扁額?が寺の正面にあったのが面白かった(^^)
書かれたお名前が女性だらけ。
 
 
 
 
11時に海住山寺の御坊様が来られて読経なさいます。
 
講の男性だけ入れて私達は外で待っていたのですが、後から声をかけていただいて、「中へ這入って写真撮って良いよ」と仰って頂いたので、「じゃあ…」っと入りますw
 
寒い外から急に暖かい堂内へはいったのでカメラが曇って撮りにくかったですが、なんとか撮影ニコニコ
 
読経する御住職の右に柳の枝の束が見えます。
あとで先っぽを丸めて牛王札を付けて苗床へ立てます。苗床が出切るのはもっと後ですが、そのための柳の枝です。牛王札は海住山寺と同じとのこと。
 
↓あとで撮影したやつですが…こんな感じ。
餅をはさむ。昔は餅つきもしていたみたいですがいまはせず、パック入りの丸餅でした。
 
あと、柳谷観音の灯籠もありました。柳谷観音の講があって寄られていたらしく、のちほど階段下の井戸も案内していただきました。
 
中での読経が終わると、今度は先ほど作った勧請縄への御祈祷です。
今度は外から撮らせていただきました。
 
 
御祈祷が終わったら直会です。
じゃあ私達も昼御飯……っという事で女子組は一時解散。
 
階段下にさきほどの柳谷観音講の方々が使っていた井戸が在りました。
 
階段上からの景色。
集落を見渡せる良い場所です。
 
しばし休憩。
 
駅方面に行ってご飯も考えたのですが、トンネル抜けたすぐのところにある銭司の勧請縄も気になったのでそこへ…
っと思ったら……凄い坂💦💦
ってか間違って妙見堂まで行ってしまったので余計体力消費(^_^;)💦
 
 
電チャリ担いで「えいとこさ、えいとこさ」と登ってたどり着いた先に現れたのが、参道に網を張るような形の勧請縄。
 
 
 
 
ここは正月3日にかけると聞いていたので、鮮度を考え、多分そのくらいだろうなと拝見。
山の中でもあり、美しさを感じた勧請縄でした。
 
こっちの春日神社にも参拝。
某講座でここの行事の話があったなぁと思い出しつつ、年末にまかれる砂の紋様を見ながら御挨拶。
ここの砂まきはかなり広範囲にされるようなのでこれはコレでもだいぶ雨や人の影響で無くなったあとなんだろうなと思いつつ…
 
加茂町史によると位置的にも興福寺の影響が強く、加茂町の34の神社のうち2/5が春日系神社なんだそうで。春日神社多いんですねー。
 
 
帰る途中、井平尾の勧請縄の作成&御祈祷中に話題になった三宅安兵衛遺志碑がダンプにっつこまれて無くなってしまった跡を確認💦
 
 
何処へ行ったのか…三宅安兵衛遺志碑…(^_^;)「笠置 并 上野街道」とか書いてあったとか……
 
 
 
昼御飯食べる時間が無かったので近くのフードストアでパン買ってかぶりつく瞬間に自転車乗ってる人を発見、あ…っと思ってよく見ると、さっき東福寺にいた人&柳の枝の牛王札を持ってる…びっくり
 
あれー直会終わるの1時過ぎだと思っててまだ余裕あるかなと思っていたのに💦
っと思って慌ててパンを口に放り込んで、チャリ走らせて東福寺へ………向かう途中で春日神社を見たら、あれ?黒い人影が数人見える……こちらも柳の枝を持っている……。
 
東福寺で直会後、春日神社に縄を運んでくるだけだと思っていたのでこの時点で春日神社に人影があるのが不思議で、目的地変更で春日神社へ向う。
 
春日神社では、五人衆(長老5人)が集まってなにやら準備中でしたニコニコ
境内に準備をするための部屋があって、「去年までは着物で集まってたんだ」とかで写真を見せてもらったり、今は春日神社横にかけてる勧請縄ですが本当は旧街道沿いに橋があって、そこが隣の銭司地域との境になるので、そこにかかっていたとか。15日(に近い日曜)に行われるというどんと焼きの話とか色々お話伺いましたニコニコ
 
五人衆さんの集合写真とか撮っていたら勧請縄到着。
先ほどのNPO法人ふるさと案内「かも」の方もいらっしゃいました。
脚立を使ってかけていきます
 
 
 
松と樫で出来た下げ(小勧請)を飾ります。
この束は五人衆のぶんだけ…つまり5個付けていたらしいですが今は3個です。
 
完成する頃には曇りがちだった空が晴れ、青空が綺麗でした。
弓矢は真ん中に上を向いて着けられます。
 
完成して、皆で記念写真を撮って、解散になりましたニコニコ
皆さん手に柳に包まれた牛王札を持って帰って行きました(^^)
 
 
 
その後、NPO法人ふるさと案内「かも」の方に周辺を案内していただきました。
 
もと勧請縄がかけられていたという昔の川にかかっていた橋(菜切り橋)の位置だとか春日神社の由来の話とかうかがったりしました。
 
勧請縄のかかっている下の石灯籠の礎石。「村舟安全」とあります。木津川が近く船頭さんが、沢山住まわれていたとか。
 
 
街道から繋がってココらへんに橋があって、そこに勧請縄はかかっていたらしいです。まさに村境で勧請縄にふさわしいですねニコニコ
 
 
猿避けの柵を開けると、ここには「名水 二ツ井」の一つ「柏の井」があります♪
 
近くに「弘法大師 霊場 菜切 願主 瓶原荘治 天保 十二年 辛丑(と、私には読めた)」の石碑が♪
その横に横たわっているのが「菜切石」。弘法大師が菜を切ったという伝説があるとか。
柏の井で洗った野菜を切ったりするまな板代わりの石で、包丁でついたキズが石の表面に無数に見えますニヤリ
 
 
 
 
 
↓無数にキズがありますおねがい
 
「…俎のような形の石で。この上で菜を切っても刄物がいたまぬという。現今も拾遺都名所図会巻四の絵のように神社の下にあって、水溜りの傍に存する。都名所図会巻五には、大師野草を切り初め給うと見えている。(「改訂 京都民俗志」井上頼寿 平凡社 Ꮲ129)」
 
刃物は傷まないけど、石は傷んでるかもwww,
 
さきほどの春日神社の方面、地下から滾滾と湧き出ていました♪
 
そばに立派な柏?の木があるのですが、切られて切株になっていましたえーんこないだの台風被害かしら?
 
 
 
ちょっと国道沿いに行ったところにもう一つの井、「樫の井」があります。
 
こちらのお水も澄んだ良い水でしたラブ
 
寒い日だったので、地下水からは薄っすら湯気がたっていました照れ 触ったら温かった照れ
 
 
また、奈良駅までチャリで帰りましたが、やはり奈良からのが近く感じましたねー。電動ならば奈良からのが良いかもー。
 
 
 

今回の主な登場マップ

 
 
こないだの金曜日。
上洛していましたニヤリ 


元禄15年12月14日(1703年1月30日)が赤穂浪士の討ち入りの日っということで、山科のパレードと本妙寺、西方寺の法要と迷ったのですが、本妙寺、西方寺の方に行ってきました爆笑

赤穂義士については、えどけんの勉強会で何回かマニアックな話が出てきて、そのたびに勉強しなきゃなと思いながら全然攻略できていないテーマです💦

いままでタイミングが合わず行けてなかったのですが今回良きめぐり合わせで行ける感じになったので行ってきました(^^)

まず、朝、ちょいと野暮用で法務局に寄ってから、本妙寺の法要に♪






法要前の様子がこちら。



四十七士の木像を前に、側面に遺墨がずらっと飾られています。
写真撮影OK(ブログ掲載も)というご親切さ。
ひとつひとつじっくり写真撮影してしまいましたラブ

日蓮宗な法要ははじめてだったのでオオと思いながら、お焼香させていただきましたニヤリ


その後、吉田兼亮と兼貞父子、貝賀友信の墓にてお経とお焼香。

お菓子を頂きました。(御供のお返しでした。)


境内ではお蕎麦の接待(たしか四百円)もしておりましたニコニコ
関西も忠臣蔵といえばお蕎麦なんですねーおねがい





次なる目的地の西方寺(左京区)へ。

他に開いてる日があるのかわかりませんが、なかなか公開日に来れたりしないので、初西方寺ですラブ


門を入ってすぐに地蔵堂があり、衣通姫地蔵がまつられていました。
御本尊は法勝寺から伝わったのでは?っと言われているという木造寄木造りの丈六阿弥陀如来坐像でした。平安時代の作といわれ重要文化財ですラブ

阿弥陀様がいらっしゃる本堂奥が蔵造りになっており、火事に強いんだそうです。
その部分だけ天井が高くなっているので、外から見た以上に大きな阿弥陀様がいらっしゃる感じになります。

光背は後の作との事ですが多数の化佛で覆われており三千佛光背と呼ばれているそうです。

こんなところにこんな大きな阿弥陀さまが!っとおどろきな感じです(๑´∀`๑)


13時半から法要とのことでしたのでその前にユックリ拝ませて頂きましたラブ

法要後に書院でお抹茶とお菓子の接待がありました。


お床のお軸。



阿弥陀如来さま旧国宝なのでこんなものも。


以前は奥の茶室で接待なさってた事もあったとか。


お抹茶とお菓子でマッタリしたところへ本堂で越前琵琶の奉納演奏を拝聴しました。


まず、日本橘会師範 谷口旭佳さんの『一の谷』
源義経のひよどり越えのお話です。



続いて、同じく日本橘会師範 田代旭美さんの『別れの盃』
赤穂浪士赤垣源蔵が討ち入りの日に兄のところへ今生の別れを告げにきますが、その時、兄は不在。赤垣源蔵は兄の羽織と最後の酒を酌み交わす。。。というお話
こちらの方が、西方寺に御墓がある四十七士、岡野金右衛門の御子孫でいらっしゃいました💦
美男で有名な岡野さんの御子孫様。やっぱり美しいお顔のつくりをされていました(^^)



最後に重要無形文化財保持者(人間国宝)の奥村旭翠さんの『齋藤実盛』

皆様、素晴らしい演奏で、聞き惚れてしまいました。
琵琶って凄く響く音するんですねー。



特に田代旭美さんにはブログの掲載許可とかなんか頼んでしまって💦
URLかなにかあればー(^^)…とか言われたけど、書いてあるもの無く……菊約という名前も説明しにくく💦「け…検索してください!💦」としか言えなかったので、そろそろ名刺とか作ろうかと思います(^_^;)💦

そして、大仰に掲載許可頂いたのにこんなチンケな写真でスイマセン💦💦

最後に西方寺墓地の小野寺十内、岡野金右衛門、大高源吾の御墓まいりをして、某忘年会へ💦ニコ




この日は、法住寺や瑞光院など関連するお寺さん、で法要が行われたりしているらしいので、他も機会があったら行ってみたいです(^o^)


赤穂浪士…もっと勉強します💦💦

水曜日ちょっと大阪で用事があったのでニコニコ
火曜日の夜京都来て、水曜日、午前中のみ観光しました\(^o^)/

まずこの時期に上洛するなら紅葉だろう!っと思いましたが、朝イチ番じゃなきゃ人が多すぎてダメだなぁと思ったので、火曜日の夜ちょっと話題に出た東福寺1択で行ってきました!

30分くらい並んで券を買って中に入りました〜(^○^)




アッという間に人が増え、人だらけにガーン
メインの通天橋前にいつくか石碑があったので撮りました。


以下、合ってるかは不明。石碑の文字(間違ってたら指摘してください)

【正面】受てまつ 手をすれすれに 散る紅楓(もみじ)虚白
【側面】
安政丙辰仲春植楓千株以供於 虚白禅師之霊
※安政3年
【裏】
田中東涛
熊谷釣錨?(王に苗に見える)
布柴楳影?(最後の字表面削れ)
山田笠界

筆頭に書かれている田中東涛って人はこの記事(pdfダウンロードしちゃいます)によれば奥州に九条道孝にくっついて行ってるんですね。存在すごい気になるチュー


奥にも石碑
【中央】「古池や蛙飛びこむ水の音 はせお」
【左】芭蕉のデカイ石碑について書かれています。漢文…これは文字起こし面倒だし不明な文字があるので割愛。
芭蕉200回忌記念で建てられたっぽい。


通天橋を渡ります。
通天橋での写真撮影は禁止されていますが、皆、撮影禁止を無視して皆撮影してましたwww

紅葉は残念な感じ。



龍吟庵にも行きました。
久しぶり。

もう散り気味なのかまだ緑なのか不明



道標(^O^) 九条兼実の墓(最勝金剛院)を示す道標? 
【表】月輪殿下兼実公本墓
【裏】明治十六年五月建立
   嶋田陸奥守橘正辰 孫 安彦勘吾
嶋田陸奥守橘正辰さんは幕末の九条家の諸大夫だったっぽいですね、安彦勘吾さんについてはちょっとわからない(^_^;)

これっぽい。


参道?の石の敷き方が綺麗でしたラブ

五社成就宮に登りました。


荒熊大明神


魔王石を見たかったのだけど立入禁止でした。





東福寺をあとにして、東本願寺へ。
坂東曲が見たくてニコニコ

かなり前から声は聞こえていまして、やってるやってると思って近づいたのですが、人混みが凄くて近寄ることが出来ず……。
やっと背伸びして人の間からユラユラ動いてるの見えました!
テレビ画面があちこちに置いてあって、中継をしてくれているので皆それを見ていましたねー。


七条通りをビューンと西へ。

権現寺へ。

場所は移動しているようですが、ここには源為義の供養塔などがあります。

さらに西へ歩いて、不動さんっぽいとこに行ってみましたが、不動さんっぽいなにかしらはなにもあらずw大人しく大阪に向かったのでしたー。



北向不動

石ヶ坪




 

こないだ、前を通りがかったら犬の散歩に出てきた方に入れてもらって2年越しで保育園内にinすることができたのでいちお写真だけ。。

 

いや、特別公開とかなんか行事やる日は普通に入れるらしいですけどね。。

こんどタイミング合ったら行きたいニコニコ

 



 

 


お祭りで知り合った方のお勤め先、㈱広海 さんの工場見学へ行ってまいりました♪爆笑

着物着るのは好きだけど知識が全く無いので間違っていたら御指摘ください(;´∀`)


友禅染めの最終工程、染料の発色を良くしたり、色の定着をさせるために必要な蒸しと水洗の工程をされている「蒸し屋」さんであり、京小紋の「しごき染め」を行っている会社でもあります。
もはや、この時点で初心者に説明は難しいので、詳しくはHPを(笑)(結局丸投げしたw)
㈱広海 



↓しごき染めの工程から見学させて頂きました♪糊染料をビューっとひいて、その後をすぐ桜の駒ベラで伸ばしていきますびっくり
素早い!(^o^)阿吽の呼吸で色んな生地に対応していく職人芸に時間を忘れて眺めてしまいました♪

使っている机?の板はこんなに長い!
約14mあるそうです!びっくり

簡単にやってるように見えても、押し付けるでも無く撫でるでもなく、良き加減で伸ばしていく「しごき」の作業…、相当な技術が必要なんだろうな〜( ´~` )!

↓めっちゃ簡単そうにスゴイことやってる!


染料が置かれたら、オガクズのもっと細かいバージョンである挽粉をまぶして生地同士がくっつかないようにして、蒸しの作業にいくようです!

↓挽粉の上に置かれた反物。
 (飛び交う用語が謎言葉??すぎて、何度も聞き返してしまいました(;´∀`))


↓上からふるっていきます♪
 この濡れた状態で蒸せるというのが「蒸し屋」&「しごき染」の最強タッグ広海さんの強みなのだとか!ってかこの組み合わせで両方出来るのは広海さんだけだとか!(^o^)

↓職人さんの妙技でございます♪
上手にかけていきます♪

↓こういう状態にして、蒸しの機械にいれます爆笑

↓蒸し箱!モワーンと温かい(^o^)
 っと思いきや100℃とかになるんですねーびっくり




裏側には、余分な染料などを洗い流す「友禅流し」の場所があります(^ν^)
桂川の伏流水を使っているらしいです爆笑
長ーぃラブ
(着物の模様がわからないようにぼかしています)

機械で水洗いする長ーぃ機械とか、プリント反物用の自動蒸し器?も見せてもらいました♪
こんなところで京都のほとんどのお着物は蒸されているのだなぁと♪おねがいおねがい

あなたの!あなたの!あなたの着物も!ここで蒸されて生まれてきたのかも!!チュー



また、絹の防縮加工の機械も見せていただきました爆笑
洗える絹の着物や襦袢!ここで生まれてますよ!w

染め上がり製品にも防縮加工できるとの事ラブお手入れが楽になりそうですね(^ν^)

初心者ながらも工場見学めっちゃ楽しかったです♪
ありがとうございました〜♥♥



 朝から追っかけ、時代祭の続きですw

 >出発前の勤王隊

 >維新勤王隊~室町洛中風俗列

 >楠公上洛列~弓箭組列 

 >平安神宮前のゴール (この記事)

 
平安神宮へ移動しました。
すごい人です。
 
勤王隊を追っかけていた友達に再開できたのが奇跡じゃないかというくらいの人ごみでした。来年は土曜日になる模様、もっと凄そうですねヽ(´Д`;)ノ

勤王隊が到着するとみんな腕を伸ばして撮影します。
もちろん私も腕伸ばしてます。w
 
応天門前に移動。
維新志士がゴールするところでした。
 
 
みんな、次々とゴールしていきますが列ごとの説明はもういいかなと思うので写真のみw
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
全員のゴールを見届けて、帰ってきましたw
勤王隊はこっからバスで地元に帰ってからも行列してるらしい。すごい。
皆様お疲れ様でした~(*´∀`*)
いろんな衣装見れて楽しかった~!
朝から見てきた時代祭の続きです。
 >楠公上洛列~弓箭組列 (この記事)
 
ここから吉野時代
 【楠公上洛列】
 
 
 
 
 
【中世婦人列】
大原女と桂女が来ました。

 
薪に火ついてるのかと思ったら紅葉でした。w
 
「帽子がソフトクリームみたい~」って若い女子に言われてたw桂女。

桂女は婚礼や出産のとき祝詞を唱える巫女のような仕事も生業としたらしいです。
白布で頭を包み込む独特の風習で、桂包(かつらづつみ)といわれて桂女のシ
ボルとなっていたのだとか。ニコニコソフトクリームじゃありませんニヤリ
 
淀君
 
藤原為家の室(阿仏尼)
静御前
 
 
【城南流鏑馬列】
 
 
 
 
 
【藤原公卿参朝列】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【平安時代婦人列】
巴御前が大人気。
横笛、常盤御前、清少納言、紀貫之の娘、小野小町、和気広虫、百済王明信
百済王明信は誰?!っと思って調べてしまった…(;´∀`)
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
【延暦武官行進列】
坂上田村麻呂の行軍の様子だそうな。
 
 
 

【延暦文官参朝列】
三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍なんだとか。
 
 
 
 
 
 
ここから神幸列
 
 
【神饌講社列】
 

 
 
 
 
雑色
 
 
迦陵頻伽、胡蝶の舞人
かわいい(*´`)
 
 
雅楽な人たち
 

 

 

 

 

 

 

御鳳輦は先に来るのが孝明天皇、後が桓武天皇だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に列奉行が来て終わりかと思いきや、【白川女献花列】が来ます。

 

 

 

最後に【弓箭組列】が来て終わりです。

 

 

 

太陽が照って暑かったけども、行列全部見れて楽しかったです♪

このあと、平安神宮へ移動します。ww バスくるかわからなかったので徒歩で移動しましたw

 朝から追っかけ時代祭ですw

 >出発前の勤王隊

 >維新勤王隊~室町洛中風俗列 (この記事)

 >楠公上洛列~弓箭組列 

 >平安神宮前のゴール 

 
 
やっと行列の開始です💦
 
写真いっぱいですが列の名称のみで。。。
 
まず現れた平安っっぽい女子たちはあとで垂れ幕持って行列していた御一行のようです。ww
 
しちょーとかふちょーとか乗った馬車が通ります。ってか目の前で乗り込みましたw
 
↓右はじでみんな靴の先が出てるのはゴザ席だからですwこっちがわの前列はみんなゴザ席でした♪
 
 
維新勤王隊が来ます☆
 
 
ゴザ席からなので、めっちゃローアングルからも狙えますw
 
 
 
 
 
 
 
維新志士列。桂さんとか西郷さんとか龍馬さんとか。。
 
行列が始まる前、建礼門前左右に行列に参加される方が群がってましたが、我らは向かって右側、志士たちと戯れたり記念写真撮ったりしてましたw (→前回記事)が、左側は綺麗どころが居たのか反対側にいた知り合いのSNSには平安女子やらの綺麗どころの写真がたくさんアップされてましたww 
↓中岡さんと高杉さんかな?
 
萌える七卿落ちw 真木和泉さんがイケメンでしたw
 
 
吉村寅太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜など一般人から見るとだれやねんと思うんじゃないかな?っていう登場人物もしっかり登場していること。姉小路公知はともかくとして、三條実萬、中山忠能とかマイナーでは?実は近衛忠熈とか私も「あれ?何やった人?」っと思ったw 
西郷さんが隆盛では無く吉之助での参加であること。
一応、新選組の説明もけっこう長めにアナウンスがあること。(でも行列には参加しない)
勉強になりました。
 
 
 
 
続いて、【徳川城使上洛列】
大名行列がパフォーマンスをしてくれます♪
 
 
 
【江戸時代婦人列】
・和宮 ・太田垣蓮月 ・玉瀾 ・中村内蔵助の妻 ・梶 ・吉野太夫 ・出雲阿国 
ここも、・玉瀾 ・中村内蔵助の妻 ・梶 あたりはマイナーでは?!
 
 
 
 
【豊公参朝列】
増田長盛が通り過ぎたのは把握してたw あとで平安神宮のHP見たら、前田玄以や石田三成もいたっぽい。
 
 
【織田公上洛列】
立入宗継が粟田口に織田公を出迎え上洛する姿を模したものらしいですが、立入宗継を知りませんでした(;´∀`)
秀吉さんは羽柴秀吉さんとしてご参加。
 
 
丹羽長秀、瀧川一益、柴田勝家などの武将も通り過ぎる。
 
 
 
 
 
【室町幕府執政列】
 
 
 
【室町洛中風俗列】
 

 
 
 
 
 
 
 
 
風流踊りを踊ってくれましたが、逆光で撮れず(;´∀`)
平安神宮前での様子を代わりに~