年末から勧請縄にハマっていて、京都府内ならどこに行けば見れるのか調べていたのですが、その過程で知った井平尾のオコナイ行事を見学させていただきました
勧請縄はざっくり言うと、村域の川や道、神社境内に飾られたりして悪いものが入ってこないようにするものです。道切り・辻切り・鳥潜らずなどと言われます。
去年、木津川周辺には何回か行ってます。その時は京田辺で電チャリを借りて南下していたのですが、ふと、「奈良から行ったほうが近いんじゃね?」っと思いたち、今回は奈良から北上ルートで行ってみました
8時30分に奈良駅でチャリを借り、44号を北上……と、思ったのですが相変わらず方向音痴で大幅に道を間違え上狛へたどり着く💦
っと、その前に、どうせ道間違えたから…っと鹿背山の勧請縄の様子を見ておく……。
やっぱまだでした 。古いままで朽ちていましたね(>_<。)
ここがいつ掛け変えるのか調査中……
途中、御霊神社の前を通り過ぎました。
鳥居に「この低さで大丈夫なんだろうか?」っと思う注連縄が張ってある。
163号は前に山城郷土資料館に行った時に通って、自転車では通りたくないなと思っていたにもかかわらず、今回やむを得ず163号で道を修正する事に💦
木津川沿いの細い道なのにダンプカーが沢山往来する…危険なところでした…
で、やっとこ井平尾へ到着。
国道から一歩入ると古い民家が並んでいる一角に……地図を見ながらどんどん入ります。
春日神社の脇へ。
ネット情報だとここへ勧請縄がかけられるそうですが、先ほどの鹿背山の勧請縄と違ってここのは古いのが下がっているわけでもなく、完全撤去でした。
(そういえば、古いのは何処においてあったんだろう?どんと焼きもこの境内でやるというのでそのへんに保管して焼き待ちだったんだと思うのだけど。)
春日神社。
祭神は天津児屋根命。
加茂町内で一番古い室町時代の宝徳2年(1450)の棟札が見つかっているそうです。
隣に神宮寺があったのだけど明治の時に無くなって、その跡が横の広場になっているそうです。(加茂町史に砂まきするって書いてあったけど流石に5日の時点では見えず💦)
集落をちょっと進んで、東福寺へ。
東福寺の階段。とても長くて急…💦
地図上でみただけではわからない高低差でしたが背後にある山肌のおそらく地元の方のお墓であろう墓達に、なるほどと思いながら階段を登ると、やってました。
勧請縄作り。
道に迷ったりした関係でたどり着くのが遅くなったため、勧請縄作りはもはや最終段階。(10時半くらい。)
小さな藁の束を三つ編みっぽくして太い縄にしていきます。
「し…写真とっても?!」っと聞くと快い返事…ついでに何処の方だか聞かれますw
「東京から…」っと言うと皆さん驚きw
そうよねーwww
「ブログやってて…」って話をします…。
「炎上しない程度にこんなんやってるんだよと宣伝してー」との事。有り難い(^^)
そうこうしているうちに、大きな縄が出来上がりました。
緑の葉っぱのついた松と樫で出来た束(下げ(小勧請))とか竹の弓矢とかはもう作られていて(五人衆が作って持ってくるとか…そのシーン見逃しました・・・。)縄が出来たら頭がどっちか確認しながら寺の軒下へトグロを巻くように置かれました。
曰く、藁の穂の先の向く方向が頭なのだとか。
→こちらの記述に関して、五人衆の方々が写真やネットで調べ、「 五人衆の協議の結果、頭は太い方(切り株側)尾は細い方(穂先側)に統一された」旨、
後ほどメールで 連絡がありました。
調べたり御連絡を下さってお手数をおかけしたのをお詫びすると共に、感謝いましたます!
縄の上に。小勧請を乗せ、弓矢を立てて飾ります。
その後、しばらく歓談w
「花と鬼と仏ー春の民俗行事オコナイ(京都府立山城郷土資料館1999.10)P29」によると、春日神社の宮座は堂の講と宮の講があって、オコナイは堂の講の行事らしいです。
しかも、三宅安兵衛遺志碑の話で盛り上がるとは?!
このお寺も入れるのはこういう時だけ。色々見て回ります
老婆講っていうおばあちゃんだけの講が昔あって、その扁額?が寺の正面にあったのが面白かった(^^)
書かれたお名前が女性だらけ。
11時に海住山寺の御坊様が来られて読経なさいます。
講の男性だけ入れて私達は外で待っていたのですが、後から声をかけていただいて、「中へ這入って写真撮って良いよ」と仰って頂いたので、「じゃあ…」っと入りますw
寒い外から急に暖かい堂内へはいったのでカメラが曇って撮りにくかったですが、なんとか撮影
読経する御住職の右に柳の枝の束が見えます。
あとで先っぽを丸めて牛王札を付けて苗床へ立てます。苗床が出切るのはもっと後ですが、そのための柳の枝です。牛王札は海住山寺と同じとのこと。
↓あとで撮影したやつですが…こんな感じ。
餅をはさむ。昔は餅つきもしていたみたいですがいまはせず、パック入りの丸餅でした。
あと、柳谷観音の灯籠もありました。柳谷観音の講があって寄られていたらしく、のちほど階段下の井戸も案内していただきました。
中での読経が終わると、今度は先ほど作った勧請縄への御祈祷です。
今度は外から撮らせていただきました。
御祈祷が終わったら直会です。
じゃあ私達も昼御飯……っという事で女子組は一時解散。
階段下にさきほどの柳谷観音講の方々が使っていた井戸が在りました。
階段上からの景色。
集落を見渡せる良い場所です。
しばし休憩。
駅方面に行ってご飯も考えたのですが、トンネル抜けたすぐのところにある銭司の勧請縄も気になったのでそこへ…
っと思ったら……凄い坂💦💦
ってか間違って妙見堂まで行ってしまったので余計体力消費(^_^;)💦
電チャリ担いで「えいとこさ、えいとこさ」と登ってたどり着いた先に現れたのが、参道に網を張るような形の勧請縄。
ここは正月3日にかけると聞いていたので、鮮度を考え、多分そのくらいだろうなと拝見。
山の中でもあり、美しさを感じた勧請縄でした。
こっちの春日神社にも参拝。
某講座でここの行事の話があったなぁと思い出しつつ、年末にまかれる砂の紋様を見ながら御挨拶。
ここの砂まきはかなり広範囲にされるようなのでこれはコレでもだいぶ雨や人の影響で無くなったあとなんだろうなと思いつつ…
加茂町史によると位置的にも興福寺の影響が強く、加茂町の34の神社のうち2/5が春日系神社なんだそうで。春日神社多いんですねー。
帰る途中、井平尾の勧請縄の作成&御祈祷中に話題になった三宅安兵衛遺志碑がダンプにっつこまれて無くなってしまった跡を確認💦
何処へ行ったのか…三宅安兵衛遺志碑…(^_^;)「笠置 并 上野街道」とか書いてあったとか……
昼御飯食べる時間が無かったので近くのフードストアでパン買ってかぶりつく瞬間に自転車乗ってる人を発見、あ…っと思ってよく見ると、さっき東福寺にいた人&柳の枝の牛王札を持ってる…
あれー直会終わるの1時過ぎだと思っててまだ余裕あるかなと思っていたのに💦
っと思って慌ててパンを口に放り込んで、チャリ走らせて東福寺へ………向かう途中で春日神社を見たら、あれ?黒い人影が数人見える……こちらも柳の枝を持っている……。
東福寺で直会後、春日神社に縄を運んでくるだけだと思っていたのでこの時点で春日神社に人影があるのが不思議で、目的地変更で春日神社へ向う。
春日神社では、五人衆(長老5人)が集まってなにやら準備中でした
境内に準備をするための部屋があって、「去年までは着物で集まってたんだ」とかで写真を見せてもらったり、今は春日神社横にかけてる勧請縄ですが本当は旧街道沿いに橋があって、そこが隣の銭司地域との境になるので、そこにかかっていたとか。15日(に近い日曜)に行われるというどんと焼きの話とか色々お話伺いました
五人衆さんの集合写真とか撮っていたら勧請縄到着。
脚立を使ってかけていきます
松と樫で出来た下げ(小勧請)を飾ります。
この束は五人衆のぶんだけ…つまり5個付けていたらしいですが今は3個です。
完成する頃には曇りがちだった空が晴れ、青空が綺麗でした。
弓矢は真ん中に上を向いて着けられます。
完成して、皆で記念写真を撮って、解散になりました
皆さん手に柳に包まれた牛王札を持って帰って行きました(^^)
もと勧請縄がかけられていたという昔の川にかかっていた橋(菜切り橋)の位置だとか春日神社の由来の話とかうかがったりしました。
勧請縄のかかっている下の石灯籠の礎石。「村舟安全」とあります。木津川が近く船頭さんが、沢山住まわれていたとか。
街道から繋がってココらへんに橋があって、そこに勧請縄はかかっていたらしいです。まさに村境で勧請縄にふさわしいですね
猿避けの柵を開けると、ここには「名水 二ツ井」の一つ「柏の井」があります♪
近くに「弘法大師 霊場 菜切 願主 瓶原荘治 天保 十二年 辛丑(と、私には読めた)」の石碑が♪
その横に横たわっているのが「菜切石」。弘法大師が菜を切ったという伝説があるとか。
柏の井で洗った野菜を切ったりするまな板代わりの石で、包丁でついたキズが石の表面に無数に見えます
↓無数にキズがあります
「…俎のような形の石で。この上で菜を切っても刄物がいたまぬという。現今も
拾遺都名所図会巻四の絵 のように神社の下にあって、水溜りの傍に存する。
都名所図会巻五 には、大師野草を切り初め給うと見えている。(「改訂 京都民俗志」井上頼寿 平凡社 Ꮲ129)」
刃物は傷まないけど、石は傷んでるかもwww,
さきほどの春日神社の方面、地下から滾滾と湧き出ていました♪
そばに立派な柏?の木があるのですが、切られて切株になっていました
こないだの台風被害かしら?
ちょっと国道沿いに行ったところにもう一つの井、「樫の井」があります。
こちらのお水も澄んだ良い水でした
また、奈良駅までチャリで帰りましたが、やはり奈良からのが近く感じましたねー。電動ならば奈良からのが良いかもー。
今回の主な登場マップ