氣の達人が教える 「悟りゲート」を開く秘密鍵 -2ページ目

氣の達人が教える 「悟りゲート」を開く秘密鍵

急性心不全から奇跡の復活を遂げた筆者が発見した「無条件幸福」の鍵を握る「悟りゲート」とは!?
連載記事となっておりますので、2024年3月3日の記事から順番にお読みください。皆さんのイノチと人生を輝かせる宝物のようなヒントが、いっぱい見つかりますように…(笑)。

さて、「楽禅ヨガ」の説明に入る前に、皆さんにお伝えしなければならないことがあります。

 

実は、老師が呉式太極拳の全伝をマスターしたとき、秘伝の巻物を授けられたそうなのです。

 

その巻物には、いったいどんな秘伝が書かれていたのでしょうか?

 

老師いわく、「巻物には『坐』という一文字だけが書かれてあった」と…(笑)。

 

その話を聞いて以来、この「坐」という一文字が、僕のアタマから離れることはありませんでした。たしかに、立っているけど、坐っているような感覚(丹田の浮遊感覚)というのは、氣功の極意なのです。たとえるなら、上半身が人間で、下半身が馬のケンタウルスになったみたいな身体感覚です(笑)。これは、太極拳や合氣道の達人の人間離れした安定感の秘密でもあるのです。


しかし、そのことだけを伝えるために、わざわざ「坐」という一文字を、書き残したのでしょうか…。


僕には、もっと深いメッセージが隠されているように感じていたのです。


ところが、先山千光寺で「楽禅ヨガ」の全容がダウンロードされたとき、「坐」の一文字で伝えたかったことは、まさに、コレだったことを理解しました。


つまり、「坐」の一文字は、時空を超えて僕に語られたメッセージだったと…。


その一文字には、「楽禅ヨガ」の型のすべてが秘められていたのです(「楽禅ヨガ」は、準備功、基本功、応用功の3つの氣功法で構成されています。ここでは、基本功のやり方を説明します)。


楽禅ヨガ(基本功) 横から

 

楽禅ヨガ(基本功) 後ろから


「楽禅ヨガ」の心得 七ヶ条


第一条
しっかり座り込んで、その座り込む力で腰を立てる(背筋をまっすぐに伸ばす)。


第二条
背伸びするように、〇〇下を伸ばす(◯◯部分は後述します)。昔からの教えに「お尻の下に紙一枚を入れよ」とありますが、イスから立ち上がろうとする直前の姿勢で(そのとき、お尻の下に紙一枚入れた感じになります)、背伸びするように〇〇下を伸ばすのです。


第三条
後ろに組んだ両手の甲に、後頭部を軽く押し当てる。


第四条
アタマのてっぺんから糸で吊り上げられているイメージを持つ。かつ、その糸にぶら下がるイメージで脱力していく。


第五条
両肩甲骨の間をしっかり広げる。


第六条
そのときのお腹の固さ(神の圧力)をチェックする。命門(ヘソの真裏にあるツボ)が食い込むような感覚も生じるはずです。


第七条

 各自、内観力(補足参照のこと)を深めながら、日々、神の圧力がより高まるように工夫する(象徴伝達は、一つを深めることに基づき、その体得には、同じ一つの型に無限にふれ、無限に体感する必要があるからです)。


~補足~

僕は、老師から内観の大切さを教わりました。内観には色々な意味がありますが、老師の言う内観とは、カラダの内側に意識を向けることです。僕は20年以上(今もなお)、この内観力を高め続けています。僕が合氣道の不思議な技をたった一年で使えるようになったのも、内観力のおかげだと感じています。その証拠に、三十年以上も稽古に励んでいた兄弟子は、合氣の極意をつかめないままだったのです。内観力が高まってくると第六感が覚醒し始めます。すると、相手のパンチが来る前に、相手の意識(氣)が先に向かってくるのも、分かるようになるんです。その相手の意識(氣)に技をかけるのが、本当の合氣です。ということは、向かってくる相手の氣が弱ければ、鮮やかに技もかかりにくくわけです。だから、合氣道開祖の植芝盛平は、わざと相手を挑発することを言ったりしたのです(笑)。あえて、「第二条 背伸びするように、◯◯下を伸ばす」と、○○部分を伏字にしましたが、〇〇部分にどんな言葉が入るのか、ぜひ、「楽禅ヨガ」の型に教えてもらってみてください(笑)。正解した方は、相当な内観力の持ち主です(◯◯部分は後述します)。


「楽禅ヨガ」の型の中には、無限の情報が込められているので、到底、本には書き切れません(笑)。好奇心を刺激された方は、ぜひ、僕のセミナーに参加してみてください(「悟りゲート」体得の前提条件である中心軸の貫通が、このセミナーで達成されます。とは言え、毎月10名ちょっとしか指導できないので申し訳ないです。氣の詰まりを根こそぎ解消する「中心軸氣功整体」に、尋常ならざるエネルギーを必要とするためです)。

令和5年6月7日のミロクの日…。

 

この日に、大いなるイノチの源泉と私たちを結ぶ型(象徴)として、また、ミロクの世(世界平和)の礎として、この氣功法が授けられたことも理解しました(以降、この氣功法のことを「(らく)(ぜん)ヨガ」と表記します。補足参照のこと)。

 

~補足~

「ヨガ」とは、サンスクリット語で「つながり」を意味します。また、「禅」という漢字は、「単」に「ネ」で成り立っています。「ネ」は礼拝している姿を表しています。つまり、単純なものに礼拝する姿を表しているのです。もちろん、単純なものとは「悟りゲート」のことです。その大いなるイノチの悦びのエネルギーにつながると、無条件に、ありがたく、面白く、楽しくなってきます。そして、ますますイノチが光り輝くようになるから、「楽禅ヨガ」と名付けたのです。

千賀さんも「象徴伝達は、一つを深めることに基づく。その体得には、同じ一つの型に無限にふれ、無限に体感する必要がある」と言われているように、このシンプルな「楽禅ヨガ」の型に、無限に触れ、無限に体感する必要があるのです。

 

というのも、「悟りゲート」こそ、無限につながるゲートでもあるからです(詳細は後述します)。

 

さっそく、「楽禅ヨガ」を実践してみると…

 

まるで、生き物のごとく、龍のごとく、強大なエネルギーが僕のカラダの中を渦巻き始めたではないですか!

 

前述の宗忠は「神は生き物である」と言いましたが、本当に生き物であるかのようにうごめくリアルな神のエネルギーを体験できるのです。

 

そのリアルな神のエネルギーは、球状にどんどん張り出しながら、かつ、どんどん凝結していきます。

 

まるで、ドラゴンボール…(まさに、生ける龍のように渦巻くエネルギーの球だから、ドラゴンボールです 笑)。

 

そういえば、20世紀最大の神秘家の1人、ダイアン・フォーチュン女史の名著「神秘のカバラー(国書刊行会発行)」の中に、彼女がある偉大な人物に言われたという秘密の言葉が書かれています。

 

それは…

 

「もし神とは何かを知りたいとすれば、ひと言で語ることができる。神とは圧力なのだ」

 

という言葉です。

 

何が言いたいのかというと…

 

このドラゴンボールこそ、神の圧力の正体だってことです。

 

先ほど、「しっぽ(尾骨と仙骨)に包まれるように、聖なる中心はある」と書きましたが、↓の図が、人間のしっぽ(尾骨と仙骨)部分です(笑)。

ブログ「野球×理学療法士(https://sakuraiku.hatenablog.com/entry/2021/03/15/060000)

より引用

 

このしっぽ部分に包み込まれるような大きさのドラゴンボールをイメージしてみてください。その中心に「悟りゲート」はあるのです。

 

ドラゴンボールの内側では、膨張する力と凝結する力が拮抗しながら、ものすごい圧力を生み出しています(ドラゴンボールのエネルギー密度が高まれば高まるほど、その聖なる中心もどんどん活性化していきます。そこに「悟りゲート」が出現するわけです。「悟りゲートが開く」と「悟りゲートが出現する」は、同じ意味だとお考えください)。

 

ドラゴンボールの中には、神なるエネルギーがはち切れんばかりに詰まっているのです。

 

そういえば、神主が神社で唱える祝詞の中に「高天原に神づまります」という言葉がありますが、それは、この状態を表現したものだったんですね…(高天原とは腹、すなわち、氣海丹田のことです)。

 

そんな神の凄まじい圧力を、「楽禅ヨガ」を実践するだけで、誰でも簡単に体験することができるってことなんです(補足参照のこと)!

 

「悟りとは 悟らで悟る 悟りなり 悟る悟りは 夢の悟りぞ(本物の悟りとは、悟ったなどと思わないで悟るものであり、 悟ったなどと思っているような悟りは、偽物の悟りだぞ…という意味)」という古歌がありますが、この神の圧力を失わないとき、悟ったなどと思わなくとも、そこに悟りはあるものなのです。

 

~補足~

白峰先生いわく「シャンバラは聖なるオーブの塊、エネルギーのプラズマ球で、その中心にセントラルサンはある。それを、神道では『中今(なかいま)』と言う。『中今』とは、過去・現在・未来を超越した永遠の時の流れの中心点のことだ」と…。つまり、「ドラゴンボール」=「シャンバラ(エネルギーのプラズマ球)」で、その中心に「悟りゲート」=「セントラルサン」があると言えるでしょう。やはり、宇宙はカラダの中にあるのです…。

 

 

そういえば、長沼敬憲さんの「心と体を変える底力は腸にある 腸脳力(BABジャパン発行)」という本にも、次のようなことが書かれていたことを思い出しました。以下、該当部分を引用します。

 

実際にイメージしてみればわかりますが、私たちは「胸」や「腹(腸)」で感じることはあ っても、これらの部位で悩んだりすることはありません。悩む主体はあくまでも「脳」にあります。体の感覚としてとらえれば自明のことであるはずですが、人は数億年にわたって 脳を特異に発達させてきた結果、どうしても「頭で考える」ことに囚われ、それが自分そのものであると思い込んでしまう傾向にあります。仏教の世界では、こうした脳に意識が偏った状態を「無明」と表現していますが、これは要するに「体を持って生きていることを忘れてしまった」「体のなかから脳だけが分離されてしまった」状態であると言うことができます。体は自然の一部であるわけですから、体から脳が分離されているということは、脳だけがこの世界から孤立していることを意味します。こうして生きているのに、生きていることが実感できない。もしそうした感覚があるのだとしたら、それは「脳」という檻の中にあなたの意識が閉じ込められてしまっているからでしょう。この無明から抜け出すには、脳にばかり意識が偏った「頭でっかち」の状態に気づき、「意識の中心を肉体の中心に重ね合わせる」必要があるでしょう。それが座禅することの意味であり、この中心を重ね合わせる練習を繰り返す中で「直感の回路とつながる=悟る」という体験が得られることになります。

(引用はここまで)

 

「意識の中心を肉体の中心に重ね合わせる練習を繰り返す中で『直感の回路とつながる=悟る』という体験が得られる」と書かれていますが、長沼敬憲さんも「その肉体の中心はしっぽにある」と、この本で述べているのです。

 

「悟り」は「差取り」だと、よく言われます。

 

たしかに、豊かな人と貧しい人、美しい人と醜い人、大卒と中卒、背が高い人と低い人、太った人とスリムな人、人氣者と嫌われ者、健康な人と病弱な人など、私たちはあらゆる物事の間に差を作っています。その差が、悩みと苦しみの原因なのだから、その差を取ることが悟りだというわけです(たとえば、国と国の間に国境という境界線を作り出してしまうから、境界線をめぐって、政治、経済、軍事などの争いが生まれます。自分と他人という境界線を作り出してしまうから、そこに人間関係の葛藤も生まれます。差を作ることは、境界線を作ることなのです)。

 

でも、いざ差取りを実践しようにも、差に溢れた世界、いや、あらゆる物事が差で成り立っている世界で、そんなことができるわけがないでしょう(汗)。

 

そうではなく、悟りとは、聖なる中心との差(ズレ)が取れたときに、自ずから実現するものだったのです…。

 

その一点を体得できたとき、思考は勝手に消えています。

 

そのとき、ジャッジする(差を作り出す)自分も消えているのです。

 

悟りとは、聖なる中心を体得した結果、引き起こされる精神的・身体的変化にすぎなかった…(だから、悟りを求めると、悟りから遠ざかると言われるのかもしれません)。

 

聖なる中心こそ、悟りへと通ずるゲートだったのです(以降、「聖なる中心」のことを「悟りゲート」と表記します)。ならば、悟りという結果をもたらす原因、すなわち、カラダの中にある「悟りゲート」に、意識を向けるべきでしょう。

 

だから、坐禅もカラダを重視します。

 

坐禅という型の目的も、この一点の体得にあったわけです(その一点から、上下に引き裂かれるように、天地を貫くエネルギーが立ち上がります。それが中心軸です。坐禅で、背筋をまっすぐにすることが重視されるのも、その中心軸上に「悟りゲート」が存在するからですね。「悟りゲート」の体得には、中心軸の貫通が不可欠なのです)。

 

でも、その目に見えない一点を、言葉で伝えることが、とてつもなく難しいのです。熱い感じ、寒い感じ、甘い感じ、辛い感じ…。その感じをいくら言葉で説明したって伝わらないでしょう。もし、その感じを伝えたいなら、暑い夏、寒い冬、甘い佐藤、辛い唐辛子を、体験させたらいいのです。

 

だから、坐禅という型で、その一点を体験させようとしたわけです(ただし、その外側だけをどんなに正確に真似てもダメなのです。その型の奥、すなわち、カラダの内側を真似ることができなければ…。詳細は後述します)。

 

さて、鹿の群れを率いる一頭の神々しい猪に出会ったと書きましたが、実は、その猪に化身した千手観音さまから、秘伝を授かったのです!笑

 

どういうことかと言いますと…

 

突然、稲妻が突き抜けたかのごとく、「悟りゲート」を開くための、まったく新しい氣功法の全容が、一瞬で、理解されてしまったのです。

 

このことについて書こうと思えば、分厚い本の5、6冊は軽く書けてしまうくらい…。そんな大容量の情報が、僕のアタマに一括ダウンロードされたのです。にもかかわらず、それは、とてもシンプルな氣功法でした(老若男女問わず、誰でも簡単にできるイスを使った坐禅法です)。でも、その型の奥には、無限の情報が込められているというか…。

 

前述の千賀さんの本には、次のような文章が書かれています。

 

「象徴伝達の世界においては、複雑化へと向かう言語伝達とはまったく対照的に、たった一つからすべてを伝達することになる。一を極めることによって全体性を学ぶ。これは、あなた方の閉ざされた超感覚を開く道なのだ」

 

「あなた方の社会の歪みを、根本から是正するための最大の近道は、象徴伝達の文化を復活させることだ。これこそが、遠いようで、最も近い調和社会への近道なのだ。あなた方日本人は、やがて実際に象徴伝達の文化を復活させることになるだろう。そしてその復活が、人々の新たな能力を開かせ、新文明を誕生させる具体的原動力となるだろう」

(引用はここまで)

 

言語伝達とは、バラバラの個人が存在するという人間観に基づいています。だから、どんなに論理をたくましくしようが、社会制度を変革しようが、世界から争いが消えることはなかったのです。

 

そのバラバラな人間観自体に、争いの原因があるのですから…(自分と他人の間に境界線を作り出してしまうからですね。それ以前に、言語自体が、善悪、美醜、長短、大小などの境界線を作り出すことで成り立っているのです。「分かる」とは「分ける」ことなのです)。

 

一方、たったひとつからすべてを伝達する象徴伝達とは、各自が、イノチの根っこにある「One=All(ワンネス)」につながるということ、すなわち、「悟りゲート」につながるということです。その「One=All(ワンネス)」を媒介とした伝達方法を、象徴伝達と言っているのです(だから、「One=All(ワンネス)」の人間観に基づいた象徴伝達が、調和社会への最大の近道となるわけですね)。

 

どうして僕はこんなにも元氣になってしまったのか?

 

それは…

 

自分のイノチの本体(霊的太陽)に触れることができたからです。

 

予想外の白峰先生の一喝に、僕のカラダとココロはビックリして、地球の中心に脱落してしまったのです(笑)。

 

そのため、僕のカラダとココロにあった緊張もすべて脱落して、期せずして、聖なる中心につながってしまったというわけです。

 

それは、大いなるイノチの源泉につながった悦びであり、いまだかつて経験したことのないような、至福エネルギーのかけ流し状態…。

 

そういえば、「すべての悩みや苦しみの原因は、単なるエネルギー不足に過ぎない」が、老師の口癖でした。

 

たとえば、悩みのエネルギー値が10として、自分のエネルギー値が1しかないならば、その悩みは生きるか死ぬかの大問題となるでしょう。でも、自分のエネルギー値が100になれば、その悩みはどうってことなくなって、逆に、そのドラマを楽しめるようになるわけです。

 

その老師の言葉が真実であることを、このときの僕は、ありありと実感できたのです。

 

大いなるイノチの源泉(聖なる中心)につながって、全身(全心)にエネルギーが満ち満ちてくると、理由もなく毎日が楽しくなってくるんです(このあたりの心境を、宗忠公は「あら嬉し かかる嬉しき世にいでて くるしむ人ぞ 憐れなりける」と歌に詠んだのでしょう)。

 

さて、話を戻します!

 

先山千光寺での不思議現象は、強大なエネルギーの柱が立ち上がっただけではありませんでした。

 

な、なんと、鹿の群れを率いる、一頭の神々しい猪と出会ったのです!笑

 

実は、先山千光寺は、次のようなエピソードが伝わっています。

 

延喜元年(901)播磨の国の猟師忠太(藤原豊広)が播州上野の山中で為篠王(イザサオウ)という大きな猪を射た。ところが、猪は傷つきながらも海を渡り、淡路島の山奥へ逃げ込んだ。忠太が跡を追うと、先山の大杉の洞中に、胸に矢の刺さった千手観音像があった。

驚いた忠太は頭を剃り、寂忍(じゃくにん)と名を改めて仏門に入り、ここに観音像を祀る寺を建てた。

(先山・千光寺略縁起より)

なるほど、この鹿の群れは、猪に化身した千手観音様からのメッセージ…。

先山千光寺

 

中国には、虎,鹿,熊,猿,鳥の5種類の動物の動きからヒントを得た「五禽戯(ごきんぎ)」という氣功法があります。

 

鹿は精力絶倫な動物とされ、漢方薬では鹿の角の粉末が、精力剤として有名ですが、それは、鹿のしっぽに秘密があったことを思い出したのです(しっぽを頻繁に動かすことで、自家発電された大量のエネルギーが、物質化して鹿の角となると考えられているためです。ちなみに、人が爪を切るようなもので、角を切られても鹿さんに痛みはないそうなので、安心してください 笑)。

 

人の場合、しっぽは尾骨にあたります。

 

そうか、しっぽ(尾骨と仙骨)に包まれるように、聖なる中心はあるんだ!

 

つまり、聖なる中心はしっぽを振る動きの起点にあり、しっぽを振れば、聖なる中心が活性化されるってことなのです。

 

その一点から、大宇宙のスピン力は生じ、大宇宙の中心軸も立ち上がる…。

 

なるほど、鹿さんはしっぽを頻繁に動かすことで、聖なる中心を活性化させ、生命エネルギーを増幅させていたわけです(聖なる中心が活性化するほど、無尽蔵の生命エネルギーの源泉、すなわち、聖なる中心とつながるパイプも太くなるとお考えください)。

 

さて、話を戻します!

 

この時、僕のカラダにも春充が体験したような凄まじい力が突き抜けていったのです(慢性心不全リスク検査の数値も、この体験があってから、380から48の正常値へとさらに激減したのです。担当医も「血液検査のすべての数値がパーフェクトで素晴らしい」と大絶賛!笑)。

 

そのことは、十数年前のある出来事を思い起こさせました。

 

僕が国家風水師の白峰先生と(補足参照のこと)、1年365日、ほぼ毎日飲み歩き修行に明け暮れ、2日酔いならぬ365日酔いだった頃のことです(実は、この非常識な飲み歩き修行には、深い意味があったのです 笑。詳細は後述します)。

 

~補足~

以前、白峰先生は「海の水が全部無くなったら、空も無くなる」と、ブッ飛んだことを言われたことがあります(笑)。「フラットアース説(地球平面説)」がネットに飛び交うようになった今、改めて、このことをもう少し詳しく説明しますと…。実は、地上世界の裏側に、上からアガルタ、テロス、シャンバラの三層構造になっている地底世界があります。そのシャンバラとテロスの中間に宇宙空間があって、それが、地表の上空にあるドーム状のスクリーンに映し出され、宇宙が外側にあるように見えていると、白峰先生は言うのです。つまり、私たちがふだん見ている太陽や月や星々は、ホログラムなんだと…(汗)。我が太極拳の老師も「空を見ていると、エネルギーが自分に返ってくる」と言われたことがあり、それは真実だと僕自身は感じていますが、信じるか信じないかはあなた次第です(笑)。

その日は3軒目くらいに、懐メロをリクエストすると、その曲が映像(久米宏と黒柳徹子が司会をしていた「ザ・ベストテン」の映像です 笑)とともに楽しめる、新宿3丁目の居酒屋で飲んでいました。

 

たしか、京都から移動しての飲み歩きで、僕は、体力的にも、精神的にも、限界に達しつつありました。

 

そんな今にも幽体離脱してしまいそうな時のことです!笑

 

白峰先生 「おい、有野!ライター貸してくれ!」

 

著者 「はい、どうぞ!」

 

白峰先生 「なっ、なんだチミは?(志村けんの変なおじさんのモノマネで 笑)」

 

なんと、僕が白峰先生に差し出したものはライターではなく、ボールペンだったのです!汗

 

つまり、ライターとボールペンの区別もつかないほど、僕のアタマはまったく働いていなかったわけです。

 

その時です!

 

「きぇぇーい」と、白峰先生がとてつもなくデカい声で一喝!笑

 

その大音響が居酒屋中に響き渡り、空間全部が大震動したかのように感じ、周りのお客さんの動きがピタッとフリーズした瞬間、なんと、自分が消えていました。

 

と同時に、とてつもないエネルギーがカラダの中心からほとばしり出て、疲労マックス状態が一瞬で吹き飛んでしまったのです!!

 

もちろん、その日は朝まで大いに盛り上がり、飲みまくり、はしゃぎまくったことは言うまでもありません(笑)。

 

しかも、このスーパーマリオの無敵状態は、その後もしばらく続き、その間の僕は「軽自動車ならぶつかってきても跳ね返せる」と豪語していました(笑)。

 

恥ずかしながら、微塵の疑いもなく、本氣でそう思っていたのです。

 

とにかく、それほどの高エネルギー状態が続いていたってことです(この体験後、白峰先生から弘観道の印可状を頂きました 笑)。

印可状に書かれた「金鵄玉条」のマル秘の意味については、↓のブログをご覧ください!笑

https://ameblo.jp/goji-miiko/entry-12207734399.html

 

 

リンク先のブログ記事にある「八咫(やた)(がらす)」については、「八咫烏の『超』日本史 大加茂真也著(ヒカルランド発行)」より、以下、該当部分を引用します。

 

白峰氏の『地球一切を救うヴィジョン』によると、やはり八咫烏は日本の国体を守る秘密結社であるとしている。八咫烏は日本の国家的な根源に関わる基幹産業において、警察、法律、民族といったものの壁を越えて独自に動ける組織である。独自の資金力もあって、通帳も戸籍もない。官僚でもなく民間人でもない。正体不明の人たちが地下に潜って動いている。

彼等はどこにいるのか。地下にもおり、東京にもいる。日本の国体を守るため独自の仕事をしている。実際戸籍のない人は日本に二十万人いるが、その半数は国体を守る仕事をしている。日本にいったん事があれば、彼等が守ってくれるという。神道には裏と表があり、天皇にも裏と表があるという。勿論一般に知られる天皇が表の天皇である。古来天皇は神道儀式を行う主祭司であった。一年を通してこれだけでもご多忙である。しかし明治以降、天皇は国家元首となられ表のお仕事が増えすぎた。戦後、民主主義に移行してからも、現在の天皇は外交儀礼や民間行事などに関わり、古来の神道儀式を司るお時間がなくなっているという。そのため、皇位継承などの重要行事を除き、その他の神道行事は裏天皇が天皇に代わって神道行事を執り行う必要が出てきた。この裏天皇に率いられる組織が「八咫烏」であるのだという。

(引用はここまで)

 

続いて、白峰先生から頂いた「八咫烏」に関する暗号メール(原文ママ)を紹介します(笑)。

 

ハツクニシラス、君が代、白峰親方様いわく「本来、八咫烏とは、スサノオの霊統を表す。さらに、秦一族は、月氏、すなわち、ツキヨミの霊統なり。八咫烏とは、ハタノカラスとヤハタのカラス。神武以前のスサノオの霊統と、月氏の大本であるツキヨミの霊統が、日本の歴史を裏から支えた。この二柱の神の霊統は、地球神、国常立太神が本流なり!ミロクの世の建設には、国常立太神の存在が欠かせない。なぜ、白峰が八咫烏なのか…。スサノオとツキヨミのダブルスコアの霊統ゆえに。さらに、白山ゆえの白峰なり。ここに、歴史物語あるなり(笑)」と…。

白峰先生いわく、スサノオに関しては、山蔭神道家第80世を継承された表博耀さんの「初代スサノオ(ヒカルランド発行)」がおススメとのこと。(余談ですが、白峰先生は山蔭神道家第79世の山蔭基央先生から、合氣道家の佐々木の将人先生を紹介されたそうです。その場で意氣投合した二人は、国体護持の盃兄弟となったと… 笑)。