昭和64年の1月に天皇崩御の報があった日、終日気分がブルーで、何故ブルーなのか自身釈然としなくて、それがどうも天皇陛下の崩御が原因らしいと気がついたのは日も暮れた頃だったろうか。

学生の頃は戦争の責任をとらない卑怯者などと青い理屈に同調したくせに、実は結構あの人が好きだったらしい。


私の小学生時代といえば、昭和天皇の人間宣言からまだ年月も浅く周囲の大人達の天皇に対する気分は戦前からの残像も色濃くて

「天皇陛下も便所に行くそうな」

などと、もちろん冗談まじりだけれど、そんな類の会話さえ聞こえていた。


時としては

「天ちゃん」

呼ばわりも聞こえ、そう呼べることが、私たち戦後生まれの人間には理解できない、ある開放感を享受できる瞬間であったようにも推測された。


このたびの東日本の大災害による被災者を見舞われる現天皇を見ていると、例えが失礼かも知れないが、相撲の横綱が年月を経て重厚な雰囲気を体得していくように、天皇陛下というお立場も歳月がそのお姿を磨くと言うことがあるらしく思うのだった。

明仁天皇も良い天皇陛下になってきた。

年の暮れに翌年のカレンダーが来ると、まずやること。

それは祝日の確認だった。

祝日が日曜の前後であればニコニコもの、それが月曜であれば、さらに喜びはおおきい。

そのかわり祝日と日曜がかさなっていれば、それに倍して落胆は激しい。


問題はゴールデンウィークだった。

昭和の時代は4月29日が天皇誕生日、5月3日が憲法記念日、5日がこどもの日。

どこに日曜日がはさまるか、またはかさなるか、カレンダーの5月をまっ先に見たものだった。


あのころ10日ほどだった祝日が、今は15日。

かつ土曜日も休日なのだから、祝日のありがたみもずいぶん薄れたことだろう。




年中無休で働く両親だったので、こどもの日と言っても特に出かけることもなかったが、母がかしわ餅をつくるのを手伝うことは楽しかった。

米粉の生地をのばしてブリキ缶のフタで型を抜く。

ムダが出ないようにくり抜くのが私の役目。

あれは何故か楽しかった。

家の裏にカシワの木が一本あって葉はそこから調達していた。

昔は甘い物が少なかったのか、ずいぶん大量にかしわ餅をつくった記憶がある。


和紙の鯉のぼり、菖蒲の葉の香り、カシワの木も今はなく、やはり昭和は遠くなった。

なんでも昔の方が良かったなんて言うと、いかにも年寄り臭いからあまり言いたくないが、夜空の星のきらめきに関して言えば、やはり昔の方が良かったと思う。


家々のあかりも少なかったし、車の数も格段に少なかった。

その分だけ夜が暗く、星を眺めるには都合が良かったと言うわけだ。


とは言え、星がきらめいて見えないのは、私自身の変化がもたらしている事なのかも知れない。

宇宙の広がりに感動して呆然と天を仰ぐという、子供時代の純な好奇心を失いつつあるということか。


天の川・・・ 


白く輝くあの帯を見たのはいつが最後だったろうか。

今一度、あの銀河と空いっぱいに輝く星々を眺めてみたいものだ。