昭和64年の1月に天皇崩御の報があった日、終日気分がブルーで、何故ブルーなのか自身釈然としなくて、それがどうも天皇陛下の崩御が原因らしいと気がついたのは日も暮れた頃だったろうか。

学生の頃は戦争の責任をとらない卑怯者などと青い理屈に同調したくせに、実は結構あの人が好きだったらしい。


私の小学生時代といえば、昭和天皇の人間宣言からまだ年月も浅く周囲の大人達の天皇に対する気分は戦前からの残像も色濃くて

「天皇陛下も便所に行くそうな」

などと、もちろん冗談まじりだけれど、そんな類の会話さえ聞こえていた。


時としては

「天ちゃん」

呼ばわりも聞こえ、そう呼べることが、私たち戦後生まれの人間には理解できない、ある開放感を享受できる瞬間であったようにも推測された。


このたびの東日本の大災害による被災者を見舞われる現天皇を見ていると、例えが失礼かも知れないが、相撲の横綱が年月を経て重厚な雰囲気を体得していくように、天皇陛下というお立場も歳月がそのお姿を磨くと言うことがあるらしく思うのだった。

明仁天皇も良い天皇陛下になってきた。