最近ね、自分で
「あ、これは▲の思考だな」
「▲のエネルギーを出しているから自分に返ってきているんだ」
って、なんとなくハッとすることが多くなってきました。
▲の思考を持っていることに対して、イヤだな、とかダメだな、とは思いません。
いくら悔いても、あるのは事実だし。
時間を巻き戻してその思考をなかったことにはできない。
ハッとしたときは
「あ、気づけてよかった!これでこの思考が私から解放される」って嬉しくなるというか、ほわっとして、ほっとします。
分からないものは、手放せないもんね。
だから、最近は▲の思考を見つけたときは
「あ!見つけた!」ってちょっとワクワクします。
見つけて、それを「私はこう思っているんだ」って受け入れるのには勇気が必要になるけれど。
もちろん「こんなこと思ってない」とか「見たくない」とか、抵抗感を感じるときはあります。
言葉にもできないような、それ以上立ち入らせてくれないような感覚を覚えることもあります。
自分のことなのにね。
マインドさんが、超抵抗しているのかもしれません。
多分ですけど、私の持っている▲の思考って、
私がこれまで過ごしてきた▲の社会で生き残るためにつちかってきたものというか……。
それが無かったら今頃精神的につぶれていたんじゃないかなあって思うんです。
ピリピリしながらも、必死に生きてきたんだなあって。
そう考えると、過去の私や、私の中の▲の思考が愛おしくなります。
でも、これからの●の社会では使うことのないツールだから、手放そう。
ありがとう、▲の思考。
君がいなかったら、今の私はいないよありがとう。
これまでは「こんな考えはダメだ」「持っていたらダメな人間なんだ」って、自分を責めていました。
でも、少しずつですが、否定のエネルギーを出さなくなってきました。
否定する感覚も減ってきました。
まだ、完全ではないけれど。
「否定しないぞ!」って意気込んだわけじゃなく、自然に変わってきました。
考え方というか、感じ方が変わったんだと思います。
今までは、思考に気づいても頭で考えたり、とにかく拒絶、否定をしまくっていました。
今は、その思考に気づいたら、
ほわっとした、黄色くて、あったかい、ふわふわした雲のようなもので胸のあたりを包み込むイメージをしています。
そしたら、なんだかほわっと受け入れられるというか……そこにあってもいいんじゃないか、みたいな感じに落ち着くんです。
そこにあってもいいなら、なくなっても、どこかにいってもいいかな、みたいな。
まあいいかって。
そんな曖昧な感じになるんです。
執着心が減ったのかな?
そんな感じがします。
否定してる時は、とにかく「この思考をやめなきゃ」って頭考えすぎて。
でも、考えれば考えるほど、その思考がどんどん迫ってきてつらかったです。
きっと執着してたんだとおもいます。
なんで突然こんなふうにできるようになってきたんだろうな?
う~ん、きっと「私は、ほわっとする」って意図したからなんじゃないかなあって思います。
この「ほわっ」っていうのは、自分の中から出てきた言葉ですね。
多分なんだけど、この言葉は、誰かに言われた言葉じゃなくて、自分の中からぽっと出てきたものであることが大切な気がします。
「のんびり」とか「ゆっくり」もありますが、それよりも私は「ほわっ」の方が胸のあたりで感覚的にイメージしやすいんですよね。
だから、ここ最近は「ほわっ」っとした感覚を思い出したり、意識して過ごしています。
ハキハキしたり、テキパキするのは合わないので、私にはぴったりです。
意図するだけで、ほわっとする時間が増えました。
気合を入れないのが、私的にミソな気がします。
副産物的に、▲の思考も包み込めるようになったのは嬉しいです。
自分に対する対立のエネルギーも少しずつ減ってきました。
少しずつでも進化している私って、すごいなあ
最近、意識的に自分を褒めるようにしている私なのでした。
それでは今日はこのへんで
できました、ありがとうございます、感謝します。