新年会での子どもちゃんへの、何気ない一枚引きから始まった子どもセッション。
そこからまた多くの気付きと学びをさせて頂きました。
ほとんどの子どもは親の価値観を生きていて、それがあたかも自分の価値観であると思い込み成長していきます。
大人になって、なぜか何をやってもうまくいかない、生きづらい、いつも同じパターンを繰り返している…
それが無気力につながったり、自虐的になったり、人や自分を攻撃したりと、生活や心身に大きな影響をもたらします。
そこに気づいた時、これではいけないと軌道修正が始まりますが、それには多くの時間とエネルギーを費やし、心の痛みと葛藤し、傷を癒すのに長い年月がかかったりします。
親から暴力を受けていたというような強烈な体験ではなくとも、一般的な家庭で一般的に育ってきた人ほど、自分のビリーフ(思い込み)に気付きにくかったりするかもしれません。
どこの親も子どもに幸せになってほしいと願い、その思いの元子育てをするのだし、日々の行動や言葉はすべて、子どものために良かれと思ってがベースにあります。
子育ては修行の場だと思いますし、理不尽に子どもを叱り飛ばしたり、時には手が出てしまったり、自分の意見を強制的に押し付けてしまったり…
親も無我夢中で子どもを育て、たとえ間違いを犯すようなことがあったとしても、誰もそれを責めることなどできません。
では子どもの立場としてはどうでしょう。
小さい子どもにとっては、家庭がすべてで、無条件で家庭のあり方や親の価値観を受け入れることが当たり前で、疑いの余地もありません。
エリクソンが提唱する、発達段階の【青年期】の12歳~18歳頃は、子どもから大人に差し掛かる思春期と呼ばれる時期で、アイデンティティーの確立と混乱が起きる時です。
『自分って何者?』『自分の生き方って?』と思い悩む時期でもあり、この頃に、親の価値観と自分の価値観の違いに葛藤が始まるのだと思います。
親の《良かれ》と子どもの思いが反発し合うのですね。
さて、堅苦しい話が続きましたが、以前3人の母娘が一緒に鑑定に来てくださいました。
ちょうど新年会の時と同じ、姉が中学生、妹が小学生で、お母さんが『3人分見てください』ということで、てっきり3人一緒に鑑定するのだと思っていたら、『一人ずつ別々に鑑定してください』と仰いました。
お姉ちゃんが鑑定する時は彼女一人で、小学生の妹の鑑定も彼女一人で、鑑定している間は他の二人は席を外しているという形で、その時私は《このお母さん、なんて素敵な人なんだろう》と、心の底から感激しました。
自分のことは自分で解決してねと、子どもの持つ力を信頼し、その為に必要なお金はお母さんが惜しまずに払う…
塾や習い事へのお金じゃなくて、占いですよ、占い(笑)
しかも小学生😆
この時の内容は覚えていませんが、私はその姉妹とお話しして、この子たち、絶対に将来何か価値のあることをするだろうなと、直感的に感じました。
瞳が真っ直ぐこちらを向いていたのを今もハッキリと思い出します。
鑑定にはお子さま連れでいらっしゃる方も結構いらして、時には大学生や社会人の子どもさんをお連れになることも。
そんな時大抵は母親が一人でベラベラしゃべっていますが、一通り聞き終わった後、必ず子どもさんに『あなたはどうしたいの?』と聞きます。
そうするとこれまた大抵母親が言ってることとは、違うことを言います。
『自分は本当はこうしたいんだ。』って。
そしたらお母さんはビックリした顔をしておられます。
占いではなく、元々親子カウンセリングをしていましたので、その時も同じようなケースがほんとに多かったのです。
なので私は『子どもさんがやりたいこと、決めたことを信じて任せてみてください』とお伝えすると、なんともばつの悪い顔をされます。
こうやってお子さんを連れてこられる方はまだ直接お子さんの話を聞けるので良いのですが、多くはお母さんがお一人で来られて、我が子の心配をあれやこれやと話されます。
もちろんお話しはお聴きしますが、『今度お子さんに直接来てもらってください』と言うこともあります。
ほとんど来られませんけれど(笑)
それはそうです。
だってそれは【お母さんの問題】であって、【お子さんの問題】ではないのですから。
一見それは子どもの問題のようで、困っているのは実はお母さんだけ。
《子どもが勉強しないんです》
《子どもの進路が決まらないんです》
《子どもが学校行かないんです》
それ、本当に困っているのは子どもさんですか?(笑)
なかなか本題に入れない(笑)
なぜ【子どもにこそタロットを】なのか。
もう一話だけ続けさせてください😆