【小池博史ブリッジプロジェクト ロング・インタビュー ~最終回~】 | 小池博史ブリッジプロジェクト公式ブログ

小池博史ブリッジプロジェクト公式ブログ

小池博史ブリッジプロジェクト公式ブログ
稽古情報や制作の日記などを書いていきます。

【 小池博史ブリッジプロジェクト ロング・インタビュー ~最終回~ 】

 

2020年2月に行われた演出家・小池博史のインタビューと、ブリッジプロジェクトを支える人たちのことを書きました。第2部まで続きます。
 

********
 

最近の小池博史ブリッジプロジェクトは、活性化している。

多くの人々や企業が新型コロナウイルス感染症の影響を受け、ブリッジプロジェクトも例にもれず艱難辛苦の中でパパ・タラフマラ時代の作品の映像配信、KIKH Radio配信、オンライン演出講座など新しい企画を立ち上げている。そしてその企画と並行して来年の『完全版マハーバーラタ~愛の章 / 嵐の章』の上演のために企画申請、映像作成などを進めている。これを担っているのは、表にはなかなか登場することのない制作の人たちだ。
 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿
 

小池博史というアーティスト自身、その作品群をいかに宣伝するか。このことがどれほど容易でないかは、人物をよく知る人たちには痛いほどよくわかることだろうと思う。その部分を制作の人々は理解するのではなく感じてみてほしい、時間をかけてでも味わってみてほしいと企画に工夫を凝らす。

作品の理解が難しいといわれることの少なくない小池作品。その創作について小池さんは、生命を生み出すことだと言う。たしかに作品を何度も繰り返し見返してみると、自分自身を生きるという意味が深く刻まれていることに気が付く。作品は小池博史であり、その生きざまなのではないか。だから、否定的な感想に彼は大いに反論する。その態度は一見、大人げなく見えるかもしれない。私自身、そんな言動にずいぶん動揺してきた。けれどももし作品が自分そのものだとしたら、尋常でいられるだろうか・・・。

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

先日6月26日より全5回で始まった小池さんの「オンライン講座」の中で舞台作品は生命であるという言葉を聴き、私はDNAの二重らせん構造が塩基配列を設計通りに組み立て、分裂を繰り返し組織や器官を作っていく過程を思い浮かべた。どうしてこれが聴講しながら浮かんだのか。それは小池さんの舞台創作の精密な作り方にあるのかもしれない。

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

劇場という場を感じ、そこから台本を書き、プランを作り、スタッフ、演者を決め、稽古プランを立て、音の構成表を作り、照明・美術スタッフとの打ち合わせ、稽古、ゲネプロ・・・さらにそのひとつひとつに細分化されて名前のつけられないような細かな仕事がちりばめられている。それがまさに、ひとつの生命の設計図のように思え、尊厳という言葉に繋がり、命がそっと舞台に置かれていることが頭の中で想像できたのだ。
そして舞台芸術がバレエ、ダンス、演劇、などジャンルに分化されることについても小池さんはきっと、まるで自分の身が引き裂かれて、ばらばらに置かれてしまうような感覚を持つのではないだろうか。

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

このようなコロナ禍においてはもはや懐かしい出来事になりつつあるが、全国各地で開催された市民参加の舞台創作ワークショップについて小池さんはこんなことを話していた。
「参加意識を持って、ワークショップに参加してほしいんだ。何かを持ち帰ってほしいからね。そうでなければやっている意味も参加者にとっても意味が薄いからな。その人をどう引っ張り上げるかだから。」実際のワークショップでも舞台経験を問わず、参加者に向けて厳しい言葉が飛んでいた。しかしそんな稽古の果てに舞台発表をみると、ひとりひとりの個性が輝いている。小池さんは初めて会う人の特徴、持ち味を5分で見抜くといった。それは参加した意味を十分感じてほしいためであり、また作品はその情報に作られていくからだ。

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

「作品はね、どんなパフォーマーがその場に集まるかから創作していくんだ。
役者は言葉を使わせたほうが生きるし、ダンサーは身体表現が得意。でも出演者に舞踊家が多いとどうしても抽象表現になる。役者でも身体のきかない役者はある程度語らせないと無理だなと思っている。あくまでもそこにいる人のバランスで作っていくんだ、作品は。」


参加者のひとりが、当時のことを振り返ってこんなことを話していたことがある。

「何だろうな、あの安心感は。迷ってもそこに、演出家がいてくれるんだっていう・・・」

                                  (つづく)