大雪・落語会・競馬、そして三ケ日の話。 | 企画屋孝太郎の好奇心優先主義

企画屋孝太郎の好奇心優先主義

講演会やアドバイザーの仕事をしている企画屋孝太郎も、広告の企画プランナーやコピーライターをしている中澤孝昭も、その活動基準は<好奇心>。このブログでは、企画屋と中澤の<昨日・今日・明日>を暇に任せて書き連ねます。

214日(金)。渋谷の胃腸科クリニックと恵比寿の歯科医院の予約日でした。ところが、天気予報は雪。それも大雪になるとの予報。

激しい胃痛で急遽運び込まれた胃腸科クリニックは渋谷の会社近く。それ以前から通院していた歯科医院は恵比寿の会社近く。どちらも、当時のボクは仕事と時間に追われていたので、予約制で職場から数分の至近距離は便利だったのですけどね。

フリーになり活動拠点が自宅になった今は、通院に往復約2時間はキツイ。しかも、坂道を登り降りなければならないので、今回のように大雪予報になると、ボク自身は大丈夫だとは思っても家族は大反対。仕方なく予約を入れ変えて、一週間延期の21日に変更。ところが…

19日の早朝に田舎の従兄弟から電話があり、叔母が亡くなり、20日が通夜で21日が告別式だとの連絡が。

以前にもブログに書いたけど、ボクが小学校4年のときに両親が離婚。それ以来、長期間の休みは親父の田舎に預けられ、従兄弟達とは兄弟同様に育てられました。田舎の叔父や叔母は育ての親みたいなもの。親父の田舎はボクたちの田舎でもあるのです。

慣れ親しんだ旧住所で書くと、静岡県引佐郡三ヶ日町。現在は浜松市北区三ヶ日町。ボクが結婚して戸籍を現在の住所に移すまでの本籍地です。

三男は通夜に間に合うように20日に出発。ボクと次男は仕事の都合で告別式に間に合うよう、21日の早朝に出発し深夜帰宅の日帰りで行ってきました。

そう言えば、17日の桂幸丸さんの落語会の打ち上げで、ボクが「東京生まれの浜松育ち」だと話したら、隣に座っていた瀧川鯉昇さんが「私も、浜松です」と応え、雷門音助さんが「僕は藤枝です」と言い、静岡県の話題、特に浜松や三ケ日の話題で盛り上がりながら飲んだのですけどね。

あの日から二日後の訃報でした。

従兄弟たちの子供たちで東京近郊に居住している子がいるようです。田舎でお世話になったお礼に、今度は東京でボクたちが、<お・も・て・な・し>でもしましょうかね。

<ご隠居馬券師雑記帳>

日曜の京都競馬・洛陽ステークス。いつもならワンコインで単勝勝負なのですが、預金を下ろして○を一つ増やし、樋口一葉で乾坤一擲の大勝負。自信満々、勝てると思ったのですが…

<狙い馬>のサトノパンサーは2着に負けました。

熱心な競馬フアンはご存知だとは思いますが、人気は4頭に被り、5番人気のサトノパンサーのオッズは単勝20倍前後の大穴。それを見て夢がさらに膨らみ、上位人気馬の4頭を2・3着に絡めた1着固定の三連単まで追加購入。

ドカ~ンと大当たりしたら、浅草演芸ホールで寄席を楽しみ、終演後に幸丸さんや知り合いの芸人さんを誘って、浅草の今半ですき焼きでも食べようかなと思ったのですけどね。勝ったのは一番人気の馬。マルチなら大当たりだったのに…などと野暮なことは言いません。ボクは馬主だった時期もあるので、馬券は単勝勝負。負けは負けです。

今週からしばらくは貧乏人です。誰か美味しい鯛焼きでもご馳走して下さい。