うわ〜〜〜、大変!

え???、そうなの???

 

となってしまう動画発見!

 

 

我が家の耐震性を上げるためにしたことが、環境を悪化させ、地震のときに周りを脆くさせてしまう可能性がある!なんて。。。

 

その他いろいろ、知らないことが満載の動画でした。

 

そして、能登半島地震のドネーション先。

本当に有効に使っていただけそうなところへと、いろいろ考えていましたが、ここに決めました!

 

直接的に私にできることはないけれど、少しでもお役にたてればと思っています。

 

 

 

明治維新以降、私たちの突き進んできたこの道、この近代科学や近代土木、医学や政治や私たちの生活も含め全部、これってなんだったのだろうと考えてしまいます。

何が良くて何が間違っていて、何を取り入れて何を進化させていけばよいのか?

 

 

ちょっと視野を大きく持てば見えてくるでしょうか?

何かおかしい、、、って。

何かが起きる度に考えてみたいと思います。

何がおかしかったんだろう???って。

どこで歯車が狂ってしまったんだろう?って。

 

 

そんなこと考える時間や心の余裕を持ち続けたいと思いました。

忙しすぎる毎日では、ホント何にも考えられませんから・・・。

 

 

 

前回のブログ(もう2ヶ月も前?!)で縄文時代のことを書いたら、知人がSHOGENさんのYou Tubeを教えくれました。

 

 

それ以来、見入っております笑。

そこから、こんなYou Tubeにも飛んで、見入っております笑。

 

 

縄文時代って面白い!

いろんな遺跡が発掘されて、縄文に関する新情報も続々と出てきていますよね。

早く教科書も書き換わって、新たな世界観が一般的になっていくと良いな〜〜〜って思っています。

 

 

 

ショーゲンさん曰く、

縄文人たちはすべての存在を愛してきたから、すべての存在から愛され続けてきた。

今、その愛され続けてきた記憶を思い出さなければならない

のだそうです。

 

 

少しの心の余裕と、感謝の気持ちと愛を伝える余裕を持つこと

人を想う時間、自然を想う時間を持つこと。。。

 

 

 

人の役割とは、すべての存在を、自然を、祝福することなのだそうです。

 

量子力学ってワケわからなくて、でも興味深く、でも理解不能で、そっとフタをしていた存在です。

でも、こう言われるとわかります!

 

人は、すべての存在を祝福するために存在していた!

 

 

なんということでしょう〜びっくりびっくりびっくり

 

 

 

観測者問題というものが量子力学には存在するとか。。。

人がね、見てる(観察する)と量子が振る舞いを変える???!なんて、ありえないことではないですか?

人がっていうところがミソです。

よくわかっていないようですが、多分、犬や猫が見てるだけでは駄目なんだと思います。

 

 

人が意識を向けることの重要さよ〜〜〜笑笑

 

 

 

ありがとうと想うこと

ごめんなさいと言うこと

許してくださいと伝えること

愛すること

(ホ・オポノポノ版、意識の向け方てへぺろ

 

意識が相手に向かっているからこその行動です。

 

 

 

「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」

 

人に、木々に、土に、空に、そして自分に向かって言いたいと思います。

愛され続けてきた記憶が私にも一日も早く蘇ってくれますように!

 

 

 

今日も素敵な一日をありがとう〜〜〜

 

 

 

 

日本の土壌の2〜3割を占めるという黒ボク土と呼ばれる黒い土。

(甲子園球場に使われている黒い土はこれ!)

この土の成り立ちは火山灰だと言われてきました。

 

でも、縄文時代の野焼きのあとだという説が有力なようです!

(高校野球で球児たちが持ち帰るのは、縄文人の野焼きの痕跡!!!わお〜〜〜馬

 

 

(1時間18分過ぎあたりから)

 

 

「日本列島を覆う表土の約2割を占める真っ黒な土、クロボク土。火山灰土と考えられてきたこの土は、縄文人が1万年をかけて作り出した文化遺産だった。

(「日本の土」(山野井徹著)より)

 

 

 

狩猟採集生活だったにも関わらず、定住していた縄文人。

 

上記の本に書いてあるとおり、彼らは海や山からの恵みだけでなく、毎年定期的に野焼きをすることによって維持される、草原からの恵みも得ていたのでしょう。

そんな多様な食料を身近に得ることができるようになって、縄文人たちは定住生活を始めたに違いありません。

 

 

その野焼きの跡が、『黒ボク土』!

 

歴史の中に遠く埋もれてしまっていた縄文人たちの生活が目の前に現れてくるようで、ワクワク、ロマンを感じるのは私だけでしょうか?笑笑

 

今、この場所、目の前を縄文人たちが駆け抜けていたかもしれません!

 

 

黒ボク土を通して私たちは縄文人と繋がっているのです。

黒ボク土で作られた野菜を食べることによって、私たちは縄文人と繋がっているのです!!

 

 

 

縄文人たちが自分たちの生活のために行った野焼き。。。

でもそれが今の私たちにも豊かさをもたらしています。

 

そして、もし私たちが私たちのために行うことが未来の環境づくりにも役立つのだとしたら、本当にワクワクしてきます。

 

そして、動画中で高田さんがおっしゃっている通り、そういことをしていかなければならないのだと痛感しています。

 

 

私たちはどのような大地を未来に遺していけるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

人は自然を改変しながら生きてきました。

それは遠く縄文時代からそうだったのです。

 

しかし今は、自然改変に留まらず、自然破壊へと突き進んでいないでしょうか?

 

ソーラー発電しかり、風力発電しかりです。

自然エネルギーではなく、それらも自然破壊エネルギーとしか思えないのです。

 

 

 

 

こんなに大々的な自然改変を行える、それが人の人たる所以であるのなら、自分の行いの影響を考えること、それができるのも人の人たる所以であると思っています。

 

こんなことを別のブログに書きました。

 

 

 

黒ボク土を見かける度に、縄文人たちの生活、そして、縄文人たちが後世に遺したものはなんだったのかと考えてしまいそうです笑。

 

そして、私たちが今、未来へ遺そうとしているものはなんなのかも・・・。

 

 

 

街を離れ、一歩森へ踏み入れるだけで心地よさを感じます。

こんな世界が続きますようにと願っています。

 

 

 

 

 

※縄文人に関してはいろんな話を聞きます。

とても平和的な人たちで、戦う武器や、戦いによって死んだ人の遺骨が出土しないとか。

自然のことも熟知し、平和的に共存していたに違いありません。

 

 

 

 

先日、新穂高ロープウェイというありがたい文明の利器のお世話になり、北アルプスの西穂山荘という2367mの山の上で1晩過ごしてきました!

 

感謝感激、そして感動の雨あられ!

 

 

本当にすべてに感謝!!!の2日間でした。

 

(北アルプスの山々にも、恵まれた天候にも、ロープウェイにも、西穂山荘の人々にも、道行く人々にも、「西穂山荘の前の広場で氣持ち良さそうに昼寝していた人たちですね!」と声をかけてくれた若いお兄さんにも、同行してくれた娘たちにも・・・)

 

※昼寝を目撃されてしまった若いお兄さんは、その日上高地から登ってきて(間違ってもロープウェイではない!笑)西穂山荘に荷物を置いて、独標まで偵察に来たんだそうです。いやいや、ちょっと偵察にって独標まで来る???!! なんと翌日は早朝に西穂山荘から独標を超えて奥穂まで9時間ほど歩く予定だとか。ムッチャ危険な行程。なのにあの軽〜い感じ。なんか良いな〜〜〜♡

山を歩くことが楽しくってしょうがないんだと思います。楽しんでる人の発する氣は周りをも楽しくさせる、それを痛感させていただきました! 楽しんで生きなきゃね〜〜〜

 

 

西穂山荘のHPより)

 

 

西穂山荘は森林限界あたりに建っており、そこからちょっと登ったところからハイマツ帯となり、その先は木の生えていない稜線です。

 

いつもは下から見上げている北アルプスの山々が、同じ高さに見えます。

雲には手が届きそうだし、上高地は下に見えています。

 

山に登るという同じ目的のためにただ歩き続ける人々と、山々と空だけの世界。

 

この心地よさが伝わるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は独標の手前で断念して引き返したのですが、山荘のオーナーが

 

「先週末は独標で落石事故がありました。岩に◯とか✗とか矢印が書いてありますので、必ずその指示に従って、安全なルートで登ってください。一人の軽率な行動が事故を引き起こします。」

 

とおっしゃっていました。

 

 

独標って簡単に行けて、北アルプスへ登った〜という感動を味わえる場所です。

でもそうだからこそ、山のことを知らない観光客が安易に登って迷惑をかけてしまう場所でもあるようです。

 

 

 

そして、独標といえば落雷事故です。

50年以上前ですが、落雷により高校生が11人も亡くなっています。

 

山は私たちの住む街とは別世界なのだと、この事故の話を読むと思います。

無知や自分自身への過信が事故に直結し、最後は運です。

 

山の話をあれこれ読んでいると、死と隣り合わせの中、運を味方につけた人は帰ってくる!そう思います。

 

 

 

 

 

登山の装備は進化し、山の上には山荘があって、その上ロープウェイが作られ、本当に登りやすくなりました。

 

でも、山が危険であることには変わりありません。

そして、感動いっぱいであることにも変わりありません。

 

 

だから、知識を身につけ、無謀な行動は控え、欲望を抑え、ちゃんとした判断を下すこと、ときにはあきらめることも大切なのだと思います。

 

 

そしてまた、最高の景色と最高の感動を味わいに行きたいなって思っています。

もうちょっと体力をつけてから・・・笑笑。

 

 

 

 

 

 

そう、山はとっても素敵なところ♡

稜線で出会って笑顔と元氣をわけてくださった皆さまも、ありがとうございました!

またお会いしたいです!!

 

 

 

※小学校低学年位の子も独標に登ってましたヨ〜。

 

幼稚園に入るか入らないかくらいの女の子がどこまで行ったのかはわかりませんが、西穂山荘から登ってすぐの稜線で出会いましたから、そこまではそんな小さな子でも行けます。

 

70代後半くらいでしょうか? おばあちゃんが、沢山の人とワイワイ言いながら稜線から降りてくるのにも会いました。この方もどこまで行ってきたのかはわかりませんが、この歳でも、杖をつきながらでも登れるんだ!と元氣をもらいました。

 

そうなんです、それぞれに、それぞれの北アルプスを楽しんで、笑顔いっぱい!

そんなこんなで最高の場所!!

 

 

 

 

 

 

自然って何なんだろう?、自然とともに生きるってどういうことなんだろう?、って答えのでない問いをますます考え続けています。

 

 

そして、自然とともに生きる。

その一つの形がmOrganicsだと思っています。

 

よろしければこちらの投稿も読んでくださって、mOrganicsのHPもご覧いただけたらと思っています。

 

 

 

 

 

今日もありがとう!

今日も最高の一日を!!!

 

 

 

 

アスファルトの割れ目から生えている雑草。

踏まれても踏まれても耐えている雑草。

 

雑草すごい!って思いますよね?

 

 

でも、こんなところでも良いから芽を出せたのは、奇跡に近い幸運なことだとか。

 

確かに・・・。

 

 

しかも、地上部はむしりとられるともアスファルトに守られて根が残るから、再び成長する。

そして、あっという間に花を咲かせ、種をつける。

 

1粒でも2粒でも種をつけ、残すことができたらその雑草の目的は達成なのです。

 

はぁ、なるほど!!!

 

 

 

 

 

踏まれても踏まれても頑張ってる雑草を見て、けなげだなって思っていませんでしたか?

 

でも、それがその雑草の戦略。

ほぉ。。。

 

 

逃げることのできない植物にとって、踏まれるところって無茶苦茶悪条件の場所。

そこに適応した雑草は・・・、

 

じつは、雑草は、もっとも進化した植物であるといわれている。田畑や道ばたなど、人間が作り出した環境は、自然界にはない特殊な環境である。その環境で生えるために特殊な進化をした植物、それが雑草である。(「生き物の死にざま」稲垣栄洋著より)

 

面白いな〜〜〜

 

 

 

草の中でも「雑草」と呼ばれる植物は、さらに特殊な進化を遂げている。そして、短い命をリレーすることで、困難な環境で命を生き抜く術を発達させている。(「生き物の死にざま」稲垣栄洋著より)

 

雑草はもっとも進化した植物。

何千年という超長い樹木としての寿命を捨て、ごく短期間の命を選んだ雑草たち。

 

 

 

 

 

そんな目で雑草を見つめたら、雑草が愛おしくなってきます。

除草剤なんてとんでもない!!!

 

と思ったけど、その除草剤にさえ負けないように進化していく雑草たち。

そのたくましい雑草根性ってすごい!

 

人なんて関係なく、彼らはどんどん進化していくのでしょう。

 

 


 

草取りされたときに、種子が熟していない場合もある。

それでも、抜き捨てられた雑草はあきらめない。根は干からび、茎や葉も枯れ果てながら、雑草は、ある限りの水分や栄養分を種子に送り込む。そして、自らは萎れながら、種子を実らせていくのである。(「生き物の死にざま」稲垣栄洋著より)

 

 

そう!

踏まれても踏まれても軽やかに生き続ける。

切られても切られてもいつの間にか復活する。

摘まれても摘まれてもしたたかに伸び続ける。

 

そして、最後の最後まであきらめることなく、種を残していく。。。

 

 

 

 

 

 

 

こんな雑草に学ぶことは多々あれど、その中の一つがこれ

もしかすると、一度や二度踏まれたくらいであれば、雑草は立ち上がってくるかも知れない。しかし、何度も踏まれると雑草は立ち上がらなくなる。
「踏まれたら、立ち上がらない」というのが本当の雑草魂なのだ。

https://toyokeizai.net/articles/-/368190?page=4

 

 

 

自分の周りの環境は変わらない。

ならば、自分自身を変えてしまおう!

 

という戦略。

 

与えられた環境で自分らしく生きる!

 

それが本当の雑草魂だったとは!!!

 

 

 

私たちも、そんな雑草になって、しなやかにこの世を渡って行きましょう〜〜〜

なぜこんな世の中なんだと嘆き悲しむのではなく、雑草根性で楽しんで生きたいと思っていますグラサングラサングラサン