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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちの身長には、それぞれ個人差があります。
背の高い人もいれば、背の低い人もいます。
それと同じように、私たちの能力にも、当然のことながら個人差があります。
しかし、能力に個人差があるということは、何も能力がないということを意味している訳ではないと思っています。
たとえば、人が食事をする量には、人によってさまざまな違いがあります。
沢山食べる人もいれば、食が細い人もいます。
でもこの場合、食が細いからと言って、食べる能力がないということにはなりません。
では、才能に関して言えばどうでしょうか。
才能に関して言えば、ある人とない人がいるでしょうか。
しかし、これに関しても、私ははっきりと「才能がない人がいる」とは言えないと思っています。
なぜなら、何を以てして才能がないと言えるのか、その基準が曖昧な上に、私自身、自分の経験を通して、自分に才能がないのかどうかはっきりと言えないからです。
と言うのも、私は、生まれてからずっと、自分の能力を、
「もうこれ以上は使えない」
と思えるぐらいとことん使い切ったことがないからです。
だから、自分自身、自分の能力がどれくらいあるのか、まったく分かりませんし、人間自体にどのような能力が備わっているのか、皆目見当もつきません。
増してや、他人に対して「才能がない」とか「能力がない」とかということは、到底言うことはできません。
その人が、自分の能力をどのように使ってきたのかを知らないからです。
ただ、私が他人の行動を見ている限りでは、多くの人たちが、私と同じように、自分の持っている能力を使ってはいないように思っています。
私たちは、幼いころから、自分の能力を使って何かができるようになるということよりも、それがうまく出来るか、出来ないか、ということばかりに注目されます。
そして、うまく出来なければ、
「能力がない」
とダメ出しをされます。
その結果、多くの人が、自分の能力を使うことを途中で諦めたり、躊躇ったり、あるいは最初から使わないようにしています。
人の人生にとって重要なことは、うまく出来るか出来ないか、ということのみに囚われ、自分の能力を使うことを躊躇うことではありません。
自分の持っている能力をいかに組み合わせて自らの人生を切り開いていくか、それこそが、人の人生においては重要なことなのです。
私は、人には、まだまだ自分で使っていない能力が大いにあると思っています。
ただし、過剰労働は、決して自分の能力を使い切っていることではありません。
それはただ、無理をしているに過ぎません。
疲弊し疲れ切っていたのでは、却って自分の能力を使うことはできないからです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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