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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、何に記載されていたか忘れてしまいましたが、以前、ある専門家が、
「猫は、人間のことを大きな猫だと思っている」
という記事を読んだことがあります。
その理由は、
「猫の愛情の表現の仕方が、猫に対する場合と人間に対する場合とでまったく差がないから」
ということらしいのです。
私は、この考え方には賛同することはできませんでしたが、
「この人は、こういう視点で猫を見ているのだな」
と思いました。
どういう視点かと言えば、
「猫には能力がない」
という視点です。
つまり、
「猫は、猫と人間を区別する能力を持っていない」
と見る視点です。
私自身は、猫には、その能力が備わっていると思っています。
なぜなら、人間に対して求愛行動をしている猫を見たことがないですし、そもそも猫が自分の仲間と他の種類の動物との区別がつかなければ、子孫を確実に残すことができなかっただろうと思うからです。
恐らく、猫の愛情表現が猫に対する場合と人間に対する場合とで同じなのは、それが猫の愛情の表現の仕方なのだろうと思うのです。
人間にしてみても、動物に対する愛情表現の仕方が、人間に対するものと極端に違うということはありません。
これは、どちらが正しくどちらが間違っているか、ということではなく、相手の能力をどのように見ているかでその行動の解釈の仕方に違いが出ることを述べています。
このことは、もちろん、人間に対しても言えることです。
人間の場合も、相手の能力をどのように見ているかで、その行動の解釈に違いが生じます。
たとえば、子どもが公共の場で他人の迷惑になるような行為をしていたとしましょう。
このとき、親が、
「子どもには能力がない」
という見方をしていたとしたら、即ち、
「子どもは、他人に迷惑が掛かる行為はダメなことであるという認識がない」
という見方をしていたとしたら、親はその子どもにそんなことは止めるように注意することになるでしょう。
しかし、それでも子どもがその行為を止めなければ、
「この子は、こんなことも理解できないのか」
と思って何度も注意を続けることになるでしょう。
しかし、このとき、親が、
「子どもには能力がある」
という見方ができたとしたら、即ち、
「子どもは、他人に迷惑が掛かる行為はダメなことであるという認識をちゃんと持っている」
という見方ができたとしたら、親は、
「注意をされるのが分かっていてなぜそのようなことをするのか」
という考えに思い至るかもしれません。
そうすれば、子どもが
「注意をされることによって親に注目されたい」
と思っていることに気がつくかもしれません。
そのことによって、なぜ何度注意をされても同じ行動を続けるのか、という意味も理解できるようになるかもしれません。
その結果、対処の仕方を変えていけるかもしれません。
この場合、子どもが思っているというのは、もちろん、子どもが無意識に思っているということです。
人は、残念ながら、「相手の人には能力がない」という認識で他人の行動を解釈していることが多いものです。
そうではなく、「相手の人には能力がある」という視点から相手の行動を見てみれば、今までとは違った見え方がしてくるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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