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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、社会における自分の居場所とは、見つけるものではなく作り出すものではないか、ということを書きました。
なぜなら、見つけるというと、まるでどこかに自分のための居場所が事前に設けられていて、そのような居場所が存在しているかのように思ってしまうからです。
ですから、いくら探しても見つからない。
そうではなく、自分の居場所とは、「ここにあるんだ」と自分が気づくものであって、気づくためには、自らが作り出す努力をする必要があると思うからです。
そして、そのためには、常に「自分が、自分が」と自分のことばかりを考え、他人から与えられることばかりを欲し、自分ばかり認めてもらうことを望んでいるのではなく、自分は他者に何が与えられるか、どうすれば他者に貢献できるかを考え、まずは他者の存在を受け入れ、認めるようにすることが大切である、ということを書きました。
そのことに関して、
他人への貢献と言えば大袈裟に思ってしまうが、挨拶も立派な他人への貢献であって、挨拶を通じて居場所づくりをしています。
というようなコメントをいただきました。
まさに仰る通りだと思います。
挨拶とは言わば、「私は敵ではなく、あなたの味方ですよ」ということを知らせるものだ、ということを言われる方がいらっしゃいます。
人は、他の動物とは違って、ある程度自分の感情を隠す方法を身に付けています。
そこで、相手と挨拶を交わすことによって、「私は敵ではなく、あなたの味方ですよ」という安心感をお互いに与えるのだというのです。
また、挨拶とは、他人の存在を認めることでもあります。
相手の存在を認めるからこそ、人は、その相手に挨拶を交わそうとします。
挨拶をして無視をされると自分の存在が否定されたように感じ腹が立つのは、そのためかもしれません。
自らの人生における課題を前にして勇気を失っている人たちは、往々にして、自分の周囲がまるで敵に囲まれているかのように感じています。
それゆえ、そういう人たちは、常に周囲の人たちに対して敵対的であり、攻撃的な態度で相手に臨もうとします。
ですから、挨拶をされても、無視をすることによって、相手に対抗しようとするのです。
そういう人たちに対して、相手が挨拶を返してくれるのを期待するのではなく、ただ「私は、あなたの味方ですよ」ということをにこやかに知らせる挨拶を根気よく続けることによって、その人を勇気づけ、敵対的な心を少しずつでも溶かしていくことができれば、それは立派な他者への貢献となるでしょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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