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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちの記憶は残念ながら、あまり当てにはならない場合があります。
たとえば、ショーンK氏のような問題が起こると、問題が発覚する前には、
「彼は、なかなか良いことを言っている」
と言っていた人が、問題が発覚した途端に、
「私は、最初からおかしいと思っていた」
と言い出すことがあります。
あるいは、野球の試合などで、
試合前には贔屓のチームが勝つことを願っていながら、いざ試合に負けると、
「今日は、負けるような気がしていた」
などと言ってしまうときがあります。
このような現象は、記憶の『後知恵編集』と呼ばれています。
これは、人間には、自らの現状を強化するために記憶を利用する側面があるからです。
日常生活の中では、私たちは、自分が正しいと思っています。
いや、思い込んでいる。
否、そう思いたい。
何れにしても、自分はいい人であり、正しい人間でありたいと思うのが人情でしょう。
それゆえ、ときには、自分は正しい行いばかりをしていて、間違ったことはすべて相手がやっていたように記憶が歪んでしまうことがあります。
そのために、相手の言動を責めてしまうのです。
そして、
お互いに「自分は正しく、相手は間違っている」という記憶の書き換えが起こり、
「言った」「言わない」、「やった」「やらない」
の水掛け論に陥ってしまうのです。
その状態を第三者の人間が見ていたとすれば、
「お互いとも同じようなことをしていたけどなあ」
となるわけです。
まさに芥川龍之介の『藪の中』です。
アドラーは、
「どちらが正しくどちらが間違っているか、ということを争うよりも、どうすればものごとを前に進めることができるかを考えることのほうが重要だ」
というようなことを言っていますが、それはまさに、人間の記憶の効果を理解していたからだったのかもしれません。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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