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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日、下記のようなタイトルの記事を目にしました。
『「やさしさ」が導く “一発レッド社会” ―ベッキー、宮崎議員、ショーンK、“謝罪”の背景にある日本社会』。
これは、不祥事を起こしたタレントや議員などの謝罪の光景から見えてくる現在の日本の風潮を記事にしたもので、一発レッド社会とは、
謝罪しないと炎上がネットで際限なく拡大し、再起不能の大ダメージ ― 一発レッドカードを食らうことです。
謝罪とは、その判定をイエローカードに留めるためのものなのです。
そして、今や日本は、一発レッド社会の恐怖に包まれている。
と述べられています。
そして、そこには、感情的な「やさしさ」が優先され、理性的な判断がなされないという現状があり、それこそが一発レッド社会の特徴であると述べています。
その「やさしさ」とは、たとえば被害者へのやさしさなどであり、多くの人は「やさしさ」を大義に、あるいは鬱憤晴らしとして炎上に加担する。
そして、同調しない人たちには、やさしさを武器に圧力を掛け脅迫してくる。
そのようなことが述べられています。
(この記事の詳細は→コチラ )
ただ、ここで述べられていることには、忘れられていることがあると私は思います。
それは、感情にも目的があるということです。
今の社会では、「やさしさ」という感情が、ただ脅迫や攻撃の目的に使われているに過ぎないのです。
それは、ある種の欺瞞の姿なのです。
その欺瞞の陰に隠れているのは、自尊心の低い人たちの姿です。
彼らは、「やさしさ」という感情を大義名分に他者を攻撃することによって、自らの優越性を求めているのです。
「私はこんなにもやさしい人間なのだ」ということを強調することによって優越感に浸ろうとしているのです。
「このやさしさがあなたには分からないのか」と同調圧力を掛けることによって他者に勝ろうとしているのです。
自尊心の高い人のやさしさには、他者を攻撃するような目的はありません。
なぜなら、やさしさを大義名分に他者を攻撃して優越感に浸るという必要性がないからです。
現代のやさしさという仮面の下には、このようなメカニズムが隠されていることを見落としてはいけないのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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