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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たち日本人は、議論が下手だとよく言われます。
それは、私たちが、議論の意味を勘違いしているからではないか、と私は思うのです。
議論とは、どちらが正しいのか、その勝ち負けを競うゲームではありません。
あくまでも、状況に即した適切な答えを見つけるためのものです。
しかし、私たちは、勝ち負けに大いに拘ります。
つまり、議論とは、相手をねじ伏せ自分の意見を押し通すものだと思っているのです。
それゆえ、相手が反対意見を述べようものなら、それを頭から否定し、罵倒し、ただただ自分の意見を押し付けようとします。
要するに、相手の意見に耳を傾ける余裕がないのです。
それだけ、多くの人たちが、自らに対する自信を失っているのです。
それは、国会中継などを見ていれば一目瞭然でしょう。
与党は、野党側から自らの法案に対する反対意見などが述べられると、それらに対して馬鹿にしたような答弁や野次を繰り返します。
先日も、阿部首相は、安保関連法案での質疑で、
「早く質問しろよ」
という野次を飛ばしていましたが、これなども、自らに自信があるからではなく、自信が無いからこそ、相手の意見に耳を傾ける余裕がないのです。
それゆえ、野次を飛ばしたり、相手の質問に真摯に答えるのではなく自分の意見を押し通すことによって、その場を逃れようとするのです。
自分の意見を反対されて語気を強めるのは、自信の無さの現れです。
自分の意見を押し通さなければ負けてしまう、という不安に襲われるのです。
そのため、語気が強くなるのです。
私たちが、議論において、相手の意見に耳を傾ける余裕がないのは、そういうことなのです。
ネットなどで、他人の意見をバカにしたような書き込みをする人たちがいますが、彼らも言ってみれば、そうして優越感に浸らなければならないほど自らに対する自信を失っているのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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