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心理コンサルタントの福場です。
私たちがここでいうところの気づきとは、
気づきの思考法においての気づきです。
つまり、自己欺瞞に気づくことであり、自己欺瞞に気づくということは、すでに自分のライフスタイル(アドラーのいうライフスタイルの意味です。信念を含みます。)を理解しており、
劣等感の補償を、つまり不適切な優越性の追求を繰り返し、よりよく生きること、その先に進むことを止め、立ち止まり、ときには、後戻りしていることを分かっている状態です。
その背景には、人生において、課題に向かいあうときに、つまり自己評価が試されるときに、自己評価が低いがゆえに、勇気を持てず、立ち止まり、後退すること、回避することを分かっていることであり、
そして、不適切な行為に落胆したり、嘆いてみたり、言い訳したり、不自然な笑みを浮かべてみたり、強がってみたり、目立ってみたりもせず、ただ黙々と自己評価を高める努力のみをしていることです。
残念ながら、自己欺瞞もライフスタイルも信念も、アドラー心理学を学び、あるいは、気づきの思考法、プロローグ分析を受ける以外は知ることはほぼ100%不可能です。
アドラーは著書のなかで、この点について、あなたには劣等感があると言われて、素直にそうですと答える人などいないと書いています。
そして、経験から理解できる知、人間知について、役に立たないとも書いています。
つまり、経験からでは、人は自分の真の姿を理解できることはないということです。
喩えれば、なくて七癖、その癖に自ら気づく人などいないのと似ています
もし、気づいているなら、人から指摘される前に直してるでしょうから。
指摘されるようなことがそもそもないということです。
母親がアルツハイマーになり、施設に入所して、8年になります。
今は、会話もできず、歩くこともできず、声をかけても返事はなく、息子の私のことを理解していないようにさえ感じています。
食べさせてもらい、いつもうつらうつらして、寝ているという状態です。
母親の顔を見るたびに、会話ができるときに、もっと話しを聞いてあげたらよかった、寂しかっただろうな。
(母親が認識できるときに)もっと親孝行をしておけばと思うことがあります。
まだ今のような状態でないとき母親とのことで、思い出すことは、
当時、家の近くのマンションに結婚をして住んでいたのですが、そのマンションを売って、
ちょうど10年前ですが、庭付きの家を買って、少し離れた地域に引っ越しすることになったとき
私は、母親に、「何の苦労もしていない俺が、庭付きの家を買って、申し訳ない。
いっぱい苦労したのにな。」と言ったとき、
母親は、よしひろ(私の名)は優しい子やと言って泣いて、喜んでくれました(今まで苦労したことを分かってくれたという意味だと思います。
なぜか、そういう言葉が出たのです。
私が子どものころから、庭付きの一軒家が欲しいというのが母親の口癖だったからです。
本当に苦労して仕事ばっかりしていた母親、リュウマチになり、手足が痛い時期でも深夜まで仕事をし、朝は早くから仕事している音が聞こえ、病気がちで、何年も原因不明で寝ていた父親、傷病手当で生活していた時期があったこと、家を買えるチャンスを兄弟姉妹にお節介をやき、借地暮らしで、地主から
いろいろ言われたことなどあったこと。いろいろなことが走馬灯のように思い出したのです。
さて、この話を、母親は、他人から、”母親おもいの、立派な息子”と言われたことがあります。
優越感を感じるだろう。
自己欺瞞、ライフスタイル、そして、自己評価が低いがゆえの不適切な優越感を知らなければ。
一見、美談である。
もし、真に母親おもいで
私は気づき、正しく理解していたならば
そのようなことを言わず。
ありがとうと言い、母親に庭付きの家をプレゼントしていただろう。少なくとも、そのための努力を惜しみなくしていただろう。
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