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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、百人一首に次のような歌があります。
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
これは、前大僧正(さきのだいそうじょう)行尊(ぎょうそん)という人が詠んだ歌で、意味は、次のようになります。
私がお前に親しみを感じるように、お前も一緒に私のことを懐かしく思っておくれ。
山桜よ。
お前以外に私の心を本当に知ってくれるものはいないのだから。
この歌は、行尊が、大峰山の山中で厳しい修行に打ち込んでいるときに、ふと山頂から見た景色の中に、一本の山桜が咲いているのを見て詠んだものだと伝えられています。
厳しい修行を続ける苦しみの中で見つけた一本の山桜が、彼には、自らの孤独を癒してくれる友のように思えたのかもしれません。
あるいは、彼の中には、修行を続けていくことに対する大いなる不安や、自分は何をしているのかという葛藤があったのかもしれません。
また、修行という孤独な戦いの中で、自らの価値を見失いそうになっていたのかもしれません。
アドラーは、人の価値について、
一人の人間の価値を形成するのは、社会の分業のなかでその人に割り当てられた場を、その人がどのように果たすかということである。
彼は、社会生活を肯定することによって、他者に対して意味あるものになる。
と述べています。
私たちは、社会を否定し、他者に対する関心を失い、自らのことしか考えなかったとき、自らの価値を見失い孤独を感じます。
それゆえ、生きる意味や生きる価値を見失っている人達は、社会を否定し、社会の中で生きるということを自ら放棄しようとしていると言えるのかもしれません。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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