ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの福場です。
わたしは、ここ数年、生き方に混迷し、暗中模索の中、出会ったのが、アドラー心理学だったわけです。
生き方の参考になるものに、今でも孔子や老子、荘子などをバイブルとされている方もいるかと思います。
あるいは、生き方だけでなく、経営や商売の知恵として、孫子の兵法を参考にされる方もいるかと思います。
さて、この間、諸子百家に関する本を数冊読んだんですが、孔子や孟子、老子や荘子、韓非子、孫子等々諸子百家といわれる方々の背景は、私が思っていた(知っていた)ほど善いものではないようです。
当時の時代背景を考えれば、紀元前という時代でさえ、と言っていいのか、
あるいは、人は基本的にはと言うのか、かなり乱暴に簡単に説明すると
戦乱の中、その国の王として、どのような政策やどのような考え(思想)が一番良いのか
という思想や政治、戦争などの手引きという商品の販売合戦があったということです。
そして、人に上下関係、身分がすでにできているということは人とはそういうものなのでしょう。
いつの時代も人は出世、名誉、お金等々の欲望があるということ。
つまり、これが優越性の追求であり、劣等感の補償なわけです。
この本によると孔子もとんでもく、詐欺師のような人だったそうです。そして、弟子に、自分が出世できないことを愚痴っていたようです。詳しくは書きませんが。
その中で、一番笑ってしまったのは、楊朱という思想家で、戦国時代初期に活躍したそうです。
道家の一人として扱われることが多いようです。
この方は、利己主義と快楽思想を唱え、当時大流行したそうです。
笑ってしまった理由は、いつの時代も同じだな。。。と、
そして快楽思想が
なんと、いい服を着て、ごちそうを食べ、いい暮らしをして、美女をはべらす(めちゃくちゃ男性の目線ですが)ということだそうです。
簡単に説明すると
世のため人のためにするな。
人生は短い、生きてる間に楽しめ、歴史に名を残すために、いい子ぶるなということ。
ただ、楽しむためには、経済的な問題がある、経済的な問題を解決するには、お金を儲けるという苦痛を伴う。
楽しむために苦しむという矛盾がある。この点については、未解決のままだったようです。
だから、この快楽の中から選んで、全部は大変だから、選択した快楽を得るには、その程度のお金儲けの苦痛は我慢してやりましょうという考えだったようです。
わたし的には、
やはりアドラー心理学が一番納得できると思うのです。
たとえば、欲することを渇望といい、宗教的には善くないことと否定するようですが、
人が向上するのは欲するが故であり、それが生きるということでもあるのです。
アドラーは劣等感の補償は、人として当然であり、優越性への追求を人として肯定しています。
むしろ、欲する背景、心理を理解すれば、その謎が解けるわけですが、
つまり謎がそもそもなくなるということです。
立派とは?どういうことですか?
なぜ?立派に生きなければならないと思われるんですか?
と
そして、誰かに認められたいと思っているのですか?
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
にほんブログ村
幸せになりたい方は、
幸せになるための気づきの思考法テキスト
「気づきの思考法養成講座ー総論ー」を読んでください。
→コチラ
をクリックしてください。