教師の倫理観 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

仕事、恋愛、結婚、人間関係。人生がうまく行かない。変わりたい。

マジで今の人生を変えたい、人生を成功に導きたい、そう思う人は、アドラー心理学をベースにした『気づきの思考法』を学んでください。
自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

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心理コンサルタントの白瀧です。


さて、最近、埼玉県の県立高校で、新入生のクラスを受け持つ担任の教諭が入学式を欠席し、他校に通う自身の息子の入学式に出席していたことが物議を醸しているらしい。


「教師としての自覚に欠ける」


と批判する声もあれば、


「親として自分の子どものことを優先するのは当然」


と擁護する声もある。


あるいは、


「高校生にもなって親が入学式に出席する必要もないだろう」


という意見もある。


これに対しては、


「埼玉県の県立高校では、親に入学式の出席を求めるのだ」


という反論もある。


これは、式後、親を体育館に集めてPTAなどの役員を決めるためらしい。


何れにしても、これは、自己犠牲の問題であり、どのような場合には自己を犠牲にして『』を優先すべきであり、どのような場合には『』を優先してもいいか、という人それぞれの価値観に関わってくる話である。


それゆえ、結局は、その行為が許せるか、許せないかという議論に落ち着いてしまう。


しかし、このような場合、重要なことは、その人の行為が許せるか許せないか、を議論することよりも、自分ならどうするか、ということではないだろうか。


「このような場合、自分なら『』を優先する」


というのならそれでいいのであり、


「このようなときは、私は『』を優先する」


というのであれば、それでもいい。


子どもたちに教えるべきは、人それぞれの考え方や生き方に理解を示し、自分ならどうするかを自ら決める能力を養うことであって、他者の行為を闇雲に批判することではないと思うのです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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