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福場です。
人の行動で、誤ってしてしまうことはあるのだろうか。
そんなつもりはなかった。
うっかりしていたというものはあるのだろうか。
たとえば、最近では、小保方さんの論文で、肝心な部分で、加工することがダメなことを知らかなった。
うっかり写真を間違えたなどは、どうなのだろうか。
私たちの心理学では、これはすべてある目的を持った意図したもの(意識的なものや無意識的なもの)と考えています。
つまり、ある目的をもってやっていて、うっかりというのは、言い訳であるということです。
お見合い写真や就職などの写真を加工する場合を考えてみればわかりやすいかもしれません。
いずれ直接お会いするわけですから、写真の加工は第一次試験を通過するためのものであって、会った時の印象は、写真と違うな。。。となるだけなのです。
なぜ、お見合い写真や就職写真を加工するのか、ではなく、どうしたかったのかということです。
そこに目的があるからです。
つまり、お見合いや就職を成功させたいということは見かけの目的であって、本当の目的は、私は自分の容姿に自信がないことをわかってもらおうとすることが目的なのです。
小保方さんの場合は、写真を加工したのは、この研究は誰も理解してくれないだろうからということが見かけの目的で、この研究に自信がないことをわかってもらうことが目的だったということです。
つまり、わかりやすく表現すれば、助けてくださいということです。
だから慎重、かつ、丁寧な研究をおそらくやらずに、公表することに本当の意味があったと思われるのです。
このようなことは日常生活でたくさんあります。
遅刻や忘れ物など、人は、すべて意図的(意識的にも無意識的にも)に行なっているのです。
そこに言い訳(自己欺瞞)という自己防衛があるのなら、永遠に自己や他者を理解することは難しいものとなるのです。
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