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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、すべての人は、よりよく生きたいと望んでいます。
たとえ、その行動が自らの価値を貶めているように周囲の人たちには見えたとしても、本人にしてみれば、それは、あくまでも自らの価値を高めようとする行動なのです。
もちろん、その方法は、大いに間違っているのであり、大いに不適切ではあるのですが。
例えば、犯罪者。
アドラーは、犯罪を総じて、次のように述べています。
無茶をするのを見せることによって秘めたる絶望を隠し、自分が怖がっていることを認めようとしない臆病な人の無謀さ。
彼らは、自らの能力を低く評価しています。
それゆえ、自分たちには社会に貢献する能力がないという誤った認識を持っています。
つまり、社会に貢献するという人間の課題に対して恐怖を感じ臆病になっているのです。
そこで、彼らは、社会に貢献しようとして失敗し劣等を感じるよりは、社会に無謀な戦いを挑んで優越感を得た方がいいと考えるのです。
それこそが、自らの価値を高める方法だと勘違いしているのです。
そして、周囲の人たちに、
「あんなことさえしなければ、きっと成功していたのに」
とか、
「あの能力をもっとまともなことに活かせればよかったのに」
などと言わせることによって、自分には価値があるように見せかけようとするのです。
あくまでも自分がうまく行かないのは、能力がないからではなく、
「このどうしようもない性癖のせいなんだ」
と言い訳することによって。
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