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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、先週の何曜日だったか、記憶は定かではありませんが、
少し遅い目の昼食をとりながら、点いていたテレビに何気なく目をやると、
小堺一機さんが司会をされている『ごきげんよう』という番組が放送されていました。
その中で、タレントのYOUさんがトイレでのエピソードを話されていて、
私が見たのは途中からでしたので詳しい事情はわかりませんが、
どうやら、ある音楽事務所での仕事の折に衣装を着替える必要があったらしく、
その事務所のトイレで着替えをしようとしたときのことのようでした。
彼女の考えでは、
服をトイレのフタの上に置いて着替えをしようと思っていたのですが、
そのトイレは、人が入るとセンサーが反応して自動で勝手にフタが開くらしく、
服を置こうとしても勝手にフタが開いて置くことができない。
無理にフタを閉めて置こうとしても、また勝手にフタが開いてしまう。
それでとても苦労した、というような話をされていました。
最近のトイレは、そのほとんどが、洗面所もセンサー付きのものが主流で、
手をかざせば勝手に水が出てきて、手を引っ込めると勝手に止まります。
私は、暑がりなので、年がら年中よく汗をかきます。
そのため、洗面所でよく顔を洗うのですが、センサー付きのものは、
顔を洗うたびに手をかざして水を出さなければならず、とても不便に感じます。
確かに、センサー付きの洗面所は、用を足した後に手を洗うだけなら便利ですが、
顔を洗いたいときや少しだけ水を使いたいときなどには、
自分の裁量で水を出したり止めたり、あるいは水量を調節することが出来ずに、
却って不便さを感じることがあります。
先のトイレの話もそうですが、あるものの便利さを追求すれば、
その用途を限定しなければならず、その用途以外の目的で使用しようとすると、
却って不便になってしまいます。
また、その一方で、
携帯電話のように便利さを追求する中でさまざまな付加価値が追加され、
それ一台で何でもできる万能選手を目指しているものもあります。
しかし、そのために、肝心の通信機能に障害が頻繁に発生しているのは、
本末転倒だとも言えます。
それでいて、携帯電話の発達によって、
私たちの生活がより便利により豊かになったかと言えば、
そうでもなさそうで、最近では携帯電話を持っていないと不安に感じる人も多く、
人々は、携帯電話の便利さを享受しているというよりも、
むしろ携帯電話に踊らされている、と言った方がいいのかもしれません。
あるいは、昔の人たちは、包丁一本で食材を何でも切っていました。
その後、食材や用途に応じてさまざまな道具が開発され、
一見すれば、便利なようにも見受けられますが、
しかし、その道具がなければ食材を切ることができなくなるなど、
器用さという人間が本来持っている便利なものまで奪ってしまいました。
人々が求める『便利さ』とは、まさに諸刃の剣。
私たちは、便利さを求めれば求めるほど、
却って窮屈で不自由な生活を強いられているようにも見えてしまいます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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