ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントのしらたきです。
連日、厳しい冷え込みが続いていますね。
インフルエンザも流行してきているようですので、みなさん、十分気をつけてくださいね。
さて、先日、『「人の行動に目的がある」とはどういうことか』という記事に対して、次のようなコメントをいただきました。
(記事の詳細は、コチラ をご参照ください。)
行動しないための自己欺瞞の話は分かるのですが、適切な目的を持ったからといって行動した全ての結果がプラスになるわけではないですよね。
一所懸命勉強しても試験に落ちたり、精一杯練習した
試合で負けたりあるいは人から誤解を受けたりなかなか望みどおりの結果を得られないのが人生なのですが、
それでもやるだけやったら満足出来るのでしょうか?
逆に能力を出し惜しみしても脳が満足したとウソをつくことは無いですか?
私たちの唱える気づきの思考法では、常日頃から、幸せな人生を送るためには、自分の能力を精一杯使う努力をする必要がある、と述べています。
そして、自分の能力を精一杯使うためには、自分の演じる自己欺瞞に気づく必要がある、とも述べています。
そのために、先にご紹介したコメントにもあるように、
「一生懸命頑張ってもうまく行かないことがある。それでもやるだけやったら満足できるのでしょうか?」
というご質問をよく受けます。
しかし、このような質問には矛盾した点があります。
それは、断定していながら質問をされているということです。
つまり、多くの人がこのような質問をする場合には、
「一生懸命やってもうまく行かないことがある」、あるいは、
「一生懸命頑張っても望みどおりの結果が得られないのが人生だ」
と断定されています。
それにも関わらず、
「それでもやるだけやったら満足できるのでしょうか?」
と質問されているのです。
「一生懸命頑張ってもうまく行かないことがある」と多くの人が断定されるのは、みなさんがそのような経験をされていらっしゃるからです。
私自身も、気づきの思考法を習得する以前は、
「一生懸命やってもうまく行かないことがある」
と、当時はそのように感じるような経験をしたことがあります。
経験をした、ということは、そのことに確信があるはずです。
それなら、そのことに疑問を感じないはずです。
では、それにも関わらず、
「それでもやるだけやったら満足出来るのでしょうか?」
という疑問を感じるのはなぜなのでしょうか?
なぜ、そのような経験をしているにも関わらず、そのことに疑問を呈する必要があるのでしょうか?
なぜ、自分の経験に疑問を呈する必要があるのでしょうか?
それは、自分自身では、無意識に分かっているからなのです。
『一生懸命頑張ったと思っていること』が、実際は、決して『自分の能力を精一杯使うために努力していたことではない』ということにです。
なぜ、そう言えるのか?
この続きは次回に書きたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
にほんブログ村
幸せになりたい方は、
幸せになるための気づきの思考法テキスト
「気づきの思考法養成講座ー総論ー」を読んでください。
→コチラ
をクリックしてください。