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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、昨日は、『劣等感』が人の行動に及ぼす影響について記事にしました。
(昨日の記事の詳細は、コチラ をご参照ください。)
もちろん、人の行動に影響を及ぼすのは、『劣等感』だけではありません。
その人がどのようなことに価値を見出しているか、ということも、人の行動に強く影響を及ぼします。
お金に価値を見出している人もいれば、地位や権力に価値を見出す人もいます。
愛されることを強く望む人もいれば、孤独であることに価値を置く人もいます。
外見を非常に気にする人もいれば、見た目よりも内面を重視する人もいます。
その他にも、家族や友情、仕事、遊び、子供、人との触れない、などなど。
人が何に価値を置いているかは、人それぞれ千差万別です。
それは、幼い頃の学習と訓練によって培われていきます。
しかし、さまざまな価値観を持っている人達にも、その根底には共通した考え方が横たわっています。
それは、『他人の評価が自分の価値を決める』という考え方です。
そのために、私たちは、たとえ人生にどのような価値を求めていたとしても、常に、他人の目を気にするような生き方を余儀なくされているのです。
たとえば、お金を儲けることに価値を見出している人たちは、
「お金を儲けて何が悪いんだ。」
というようなことを、ことある毎によく主張されているのを目にします。
もし彼らが本当にお金を儲けることに絶対的な価値を見出しており、そのことに何の疑問も感じていないのならば、そんなことをいちいち主張する必要はないはずです。
しかし、彼らには、そのことを主張する必要があるのです。
なぜなら、お金を儲けるという行為が、他人の評価という自分の価値にどのように影響するかがとても気になるからなのです。
それは、裏を返せば、その価値を求めることが、他人の評価という自分の価値を下げる行為だと無意識に感じているからなのです。
だからこそ、いちいち自分の行動に対して言い訳をする必要を感じるわけなのです。
あるいは、「愛がなければ生きられない」と言う人がいます。
そのような人も、もし本当に愛がなければ生きられないと信じているのならば、そんなことをいちいち口にする必要はありません。
しかし、愛を求めて生きている自分の姿が、他人の評価という自分の価値を下げると無意識に感じているがために、
「私は、愛がなければ生きられない」
と強く主張して、自分の行動の言い訳をする必要を感じるわけなのです。
私たちの行動は、常に、他人の評価に対する言い訳が含まれているために、とても複雑に見えるのです。
それゆえ、他人の評価に対していちいち言い訳する必要を感じなくなれば、人間は今のように苦しむことなく、もっと幸せな生き方ができるようになるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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