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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、私たち人間は、実に邪魔くさい生き物です。
みなさんは、そのように感じられたことはないでしょうか?
たとえば、
好きな人が出来ても素直に「好き」と告白できない。
自分が悪いことをしたと思って相手の人に謝りたいと思っても、いざ相手の顔を見ると、「お前が悪いんだ」と逆に相手を非難してしまう。
本当はみんなと親しくなりたいのに、「私は一人でいるのが好きなんだ」と意地を張ってしまう。
などなど。
人は、本当はもっと素直になりたいのに、自分が思っていることや考えていることとは正反対の行動を取ってしまうことが多々あります。
実に邪魔くさい生き物です。
私たちがこのような行動を取ってしまうのは、私たちに『劣等感』という感情があるからです。
ただ、『劣等感』という言葉を使うと、多くの人たちが、
「私は、そんなことに劣等感を抱いていない」
と否定されることが多いのです。
なぜなら、多くの方が『劣等感』と聞いて思い出すのは、『コンプレックス』のことだからです。
『コンプレックス』とは、あることにわだかまりを感じたり、苦手意識を持ったり、というような『ある特定の事柄に強い反応を示す複雑な感情』のことを言います。
しかし、ここで言う『劣等感』とは、『コンプレックス』のことではありません。
ここで言う『劣等感』とは、ある特定の事柄に対するこだわりのことではなく、ただ単に『自分が劣っていると感じる主観的な感情』そのもののことを指しています。
たとえば、簡単な例で言えば、テストの点数で友人が自分よりも高い点を取れば、ただ単に「自分は負けた」「劣っている」という感情をその場で抱くことになります。
そのことに対して別段のこだわりを持っていなくてもです。
私たちは、他人との関係において、その時その時の状況に応じて、常に自分が勝っているか、それとも劣っているか、ということを知らず知らずのうちに感じながら経験しているのです。
その時に「自分が劣っている」と感じるのが『劣等感』なのです。
そして、人は、常に、その時に感じた『劣等感』を補償、つまり、補う行動を取ろうとするのです。
その補い方の違いによって、人の行動のパターンが変わってくるわけです。
たとえば、会社の同僚が自分よりも先に昇進した場合、そのことに対して何の劣等感も感じなければ、同僚に対して素直に「おめでとう」と言えるでしょう。
ところが、そのことに劣等感を感じれば、
「あんな仕事の出来ない奴が先に昇進するなんて、この会社は人を見る目がない」
などと言って、同僚や会社を非難することによって自分の劣等感を補おうとするかもしれません。
このように、私たちの行動が一見すると複雑に見えるのは、私たちが、常に、そのとき感じた『劣等感』を自分なりの方法で補償しようとしているからなのです。
そして、この補償の仕方には、『その人の自分の能力に対する評価』が大きく関わっているのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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