ご機嫌いかがでしょうか。
心理コンサルティングオフィス ふくよしです。
前回ブログ記事の続きです。
心理学とネットの危うさ→コチラ
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前回記事で例にしたの青年の場合のように、心理学など教育関連のビジネスは、
「孤独と感じる、愛されてないと感じる、必要とされていないと感じる。」といううったえに、そのままその欲求満たすこと
が顧客満足ではないと書きました。
そこに難しさがあるのです。
そもそも本質的な問題は、
「人を愛することができない。あるいは、愛することをしようとしない。」
「人を信頼することができない。あるいは、信頼することをしようとしない。」
「人に関心がない」
ことにだからです。
”人間は、何を持って生まれたかではなく、持ってるものを使う。使いこなすこと。”
これが、その人に、ある意味与えられた人生の意味なのです。
この青年は、まったくそれを使っていません。使おうともせず、
ただ、孤独だ。愛されてない。必要とされてない。
という自己の欲求を外界に突き付けているだけなのです。
もし、子供のころ虐待などを親から受けていたなら、
彼にとって、このストーリー(目的)は、見事に完成するでしょう。誤った方向で。
心理メカニズムを理解すれば、わかります。→理解したい人は、コチラ
彼に対して、もってもやってはいけないのが、”同情”なのです。
同情を引くことで、他者をコントロールして、見事に、優越の位置に
価値を高める手段なのです。(不適切な思考、行動なのです)
だから、”同情”しなければ、怒り、批判をするでしょう。
あるいは、もっと悲しむでしょう。
ある危険な集団から、必要とされることで、目的を達成する方法ではないのです。
残念ながら、つらい目に合うために行動しているのです。(信念)
そして、こう言うでしょう。”つらいことが多かったけど、私はよく頑張った。人生に満足した。”と
これが、この青年の人生の目的だからです。
もし、本当に、幸せに、成功したいと思うなら、まったく間違った方法なのです。
それに、気づくことです。
つまり、この青年の本質的、潜在ニード(彼に気づかせること)は、
交流と愛の問題なのです。人間関係の学習と訓練が必要なのです。
”孤独だという前に、人と交流しよとしたか?”
”愛されたないという前に、人を愛したか?”
”必要とされる前に、人を必要としたか?”
自分に問うてみれば、わかるでしょう。(気づくでしょう)
本質を理解し、何をすればいいのか?知りたい人は→コチラ
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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