潜在能力という言葉を見聞きします。
しかし、潜在能力という言葉に、過剰な可能性を感じるため、期待をするのでしょうか?
すべての人間には、能力はあります。
ただし、その能力は、才能であるかどうかは、わかりません。
能力は使うことで、意味が生まれるのです。
潜在能力とは、もともと生物学者が、成長への永遠の可能性を説明するための言葉でした。
例えば、ひまわりの種で説明するとこの”ひまわりの種”は、成長すると”ひまわりの花”になります。
そして、その種は、大きく立派な、すごく綺麗なひまわりの花にになる可能性があるのです。(※この成長への永遠の可能性の意味です。つまり、限りなく綺麗なひまわりになる可能性がある。)
つまり、ひまわりの種自身は、大きく立派な、すごく綺麗なひまわりの花になる可能性を持っているのです。
これを、ひまわりの種の潜在能力といいます。
もし、ひまわりの種に意思があり、ひまわりの種自身が、薔薇がいい。薔薇の花になりたいと思い悩んでも、薔薇にはなりません。
なぜなら、ひまわりの種の潜在能力は、薔薇になることではないからです。
そして、ひまわりの種自身が、ひまわりなら咲いても意味がないと感じ、どうでもいいと思ったとしましょう。
きっと土からの栄養をとることも怠るでしょう。栄養をとることを怠れば、成長が遅れるでしょう。
成長が遅れると周囲のひまわりの陰になるでしょう。陰になると太陽からの恵みを受けることが少なくなるのでしょう。さらに成長が遅れるでしょう。成長が遅れたひまわりはうつむき加減になり、さらに成長が遅れるでしょう。
このひまわりは、きっと小さく貧弱な、あまり綺麗に咲くことができないでしょう。
ひまわりの種が、薔薇になりたいと思って、その本来の潜在能力を活かしきれなかったのです。
人の場合、最近の脳の研究によると脳も生命活動がある間は、成長を続けていることがわかってきているそうです。それぞれの人が、その成長する能力を持っているということです。
”人は、人生において、何を持って生まれてきたのではなく、持っているものをどう活かすのかが重要です。”
そして、それを活かすには、主体性を意識し、使ってみること。使うことで、自然と努力することになるでしょう。
これが、潜在能力を活かすということだと思うのです。