心理学的思考では、言葉を厳密に定義して使い分けるように心がけています。
日常生活では、多少あいまいでもかまわないと思いますが、人間の行動には理由があるわけですから、その言葉(言動)には、大切な意味があるからです。
つまり、人間が使う言葉には、意識的であれ、無意識的であれ、なんらかの意図があるからです。
例えば、
会社員でも
『わが社は。。。』
『この会社は。。。』
という言い方で、その人の会社に対する心理が現されているからです。
今日のテーマの信用と信頼も、意味が違ってきます。
例えば、
『私は、騙された。。。信用していたのに。。』という場合と
『私は、騙された。。。信頼していたのに。。』では、完全に使いわけて聴くようにしています。
信用とは、取引などで一般的に使う言葉でもあり、条件付きで信用する場合に使い、相手の態度で、私が相手を信用したり、しなかったりを判断することで、
つまり”信用とは、条件付きで信用すること”を意味します。
そして、”信頼とは、無条件で信用すること”を意味します。
何が違うというと信頼とは、相手の態度がどのようなものであっても信用することを意味するので、(厳密には)騙されたというのはないのです。
だから、騙されたという場合は、”信用していたのに”が正しい使い方になります。
何気ない言葉の使い方で、相手に対してどのように考えているのかがわかり、心理がみえます。
(信用が悪くて、信頼が良いという意味ではありません。)
親がよく使う言葉に”子供を信頼している”と言いますが、
信頼している親は、子供が不適切な行為をした場合、その行為に着目した対応をします。
もし他人に乱暴をした場合、その乱暴した行為に対して、注意したり、叱ったり対応します。例えば、”悪いことをしたんだから謝りなさい(でも、私は変わらずあなたを信じていますよ。←あえて付けくわえるとしたら)”などと対応します。
信用している親は、不適切な行為をした場合、その行為をした人に着目した対応をします。
もし他人に乱暴した場合、その乱暴をした人(子供)に対して、注意したり、怒ったりします。例えば、あんたは、父親に似て乱暴だ!ほんまに信用できんな。(乱暴な子とレッテルをはる。つまり信用しないということ←あえて付けくわえるとしたら)と対応します。
つまり、子供を信頼している親と子供を信用している親は違うのです。
子供は、失敗しながら、成功を目指し、成長します。
そのためは、
親は子供を信頼してあげることが大切だと思います。