ただ今しか存在していないのに、見失ってしまうのはなぜか、、
おそらくは、防衛のため、「未来」も継続的に安心できるようできるだけ強固で確固たる地盤を築こうと躍起になっているから、、
あるいはまた、今ここにはない「何か」を求めるあまり、すでに在ること、ここにしかないことを見落としてしまっているから、、
ま、とは言いながらそれが人間(自我)というものなので、それもまた自然と言えば自然なのでしょうが、、
もし自分がそうした、とりとめもない一人相撲にはまり込んでいることに瞬間気づくことができれば、私たちはたちまちにして「只今」に目覚めることができるのです、、
これがある意味で、有漏路(うろじ)から無漏路(むろじ)への転換、、無意識から意識そのものへの帰還、、夢からリアリティへの目覚め、、といったものです、、
「どこか」もまた人生の味わいのひとつではありながら、、ある意味で、「おかず」的な、、
けれども本来に味わうべきは主食であるところの「ごはん」とったところへの気づきとも言えるかもしれません、、
「ごはん」がなければ、いくらおかずが魅惑的でもなんだか食べた気がしない、、的な、、笑
というわけで、最近おいしく頂いている、新米に改めて感謝、、