「只今」に「ただいま!」するために、、
一番手っ取り早い方法は、今まさにしていることを「完全に行う」ということに尽きます、、
何をしているにせよ、目の前にあるのは、「只今」である以上、
そこへの帰還はその瞬間への、まさに居るその場所、「足元」への完全なる没入というものです、、
禅の、「脚下照顧」は個人的にはとても好きな言葉ですが、、
ある意味でこれを遺した禅師は、後世の我々が迷妄から目覚め、真実を必ずや生きられるようにと、
その入口への道しるべを、その言葉に託しつつ指し示したと言えるでしょう、、
自分が見失っていることに気づいた時には、、
恐れや不安、欲望などによって、「只今」を見落としていることに気づいた時には、、
まさにその瞬間の恩寵というべき「気づき」によって、「ただいま!」のチャンスが訪れます、、
まさにそれは、特別なスピリチュアルの取り組みなど特段必要とすらしない、
あなたが居るその場所で、「只今」は常に開かれているのです、、
というわけで私もここに書いてしまった手前、、目の前の行為を、役割を完全に生きること、、
残り少ない年内の抱負といたします、、