というわけで、だいぶご無沙汰です、、
新しい絵文字が登場していることに軽く萌えつつ、、笑
もはやメッセンジャーであることすら、忘れかけていたところでしたが、、
最近パソコンを新調したので、タイピング具合でも試そうかと、、笑
さて、今回ですが、、「人の目」について、、
しばしば、「人の目が気になる」という相談は各方面いろいろありますが、、
実際のところその「構造」について少し書いてみようかと、、
って昔にも同じテーマで書いてましたので、詳しくはそちらでも、、
というわけで、「人の目が気になる」根本には、当然ながら、自我性からくる「恐れ」があるわけです、、
「恐れ」ゆえに、「自分が他人からどう思われているか」が気になり、過度に気にすればするほど、ますます「自我」は強固に自分自身を固定化し、確固たる「恐れている自分」「気にしている自分」という二元的な分離を見事に生み出してしまうというわけです、、
ま、別にその働きが悪いものとうこともなく、単なる自我の「働き」にすぎませんので、それ自体を批判する必要も嫌う必要もありませんが、もしそうした感覚の中で生きづらさを感じている場合においてだけ、ちょっとしたアドバイスを申し上げると、、
「気にしている」ことに気が付いたときには、その気づいている「目」のほうで、「気にしている自分」の様相を何も言うことなく、静かにじー-----と見つめてみてください、、
また、それと同時に、「気にしている相手の目」についても、何も批判などもすることなく静かにじー-----っと見てみます、、しばらく、じー-----っと「見る」というのを続けてみると、、時間の経過とともに、「気にしている」自我のけなげな反応に微笑ましさが感じられたりすることもあるかもしれません、、
ま、これが、「気づき」によって見いだされる「(収縮の)解放」といったもので、瞬間、強固に縮こまっていたエネルギーが緩やかにそして確実に解放されて行っているのです、、これをある意味で「癒し」などと言ってもいいですが、、
というわけで、過去記事でも言ってるかもしれませんが、、「気にしている」ことに気づいたときは、「気づいて見る」と新しい景色が見えることもあるかもしれません、、(最近の受け売りってわけではなくたまたまです、、笑)
では、今日から寒さが深まるとのことで、暖かくしてお過ごしください、、