私たちは、無意識のうちに、
「習慣」 の中で生きるようにプログラムされています、、
思考という機能が発達しているため、
成長と共に、場面場面、状況状況で、認識したものを都度都度蓄え、
次に同じような物、出来事、事象が現れた際は、、
反射的に 「過去」 を踏襲するといった、思考の反応が起こるのです、、
日常生活、あるいは、社会生活において、
この機能の恩恵は計り知れません、、('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
あらゆる経験が全く蓄積されないとしたら、私たちのこの世界はまず成り立っていかないでしょう、、
コップをコップだと認識しなければ、、
食べ物を食べ物だと認識しなければ、、
家族を家族だと認識しなければ、、
自宅を自宅だと認識しなければ、、
そうした思考機能の優秀さには感謝しながらも、、('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
その優秀さ故に、、真実が覆い隠されているというのもまた事実です、、
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何か物を見れば、瞬間的に 「過去」 が動き出します、、
何か出来事に遭遇すれば、瞬間的に思考がその出来事に解釈を加え、「枠」 に当てはめます、、
私がよく使う、限定化、概念化というものは、往々にして過去をベースにしている場合が多いです、、
注意深く見てみると分かります、、
昨今のフェイスブックなどはとても良い練習になるかも知れません、、笑
誰かの投稿を見るや、、瞬間それに対する反応を何かしら思考が紡ぎ出すのが分かるはずです、、
もちろん、それが悪いという話ではなく、、
そうした思考の癖、しっぽを捉え、思考に意識的であることが身に付いてくると、、
「瞬間」 の一歩手前に安住するという感覚、、
「本来分かり得ないもの」 を、「分かり得ないままにしておける」 くつろぎ、、
個人的なポインターであるところの、「今」 感覚が徐々に主導権を握り出します、、
同時に、これまで世界に 「枠」 を当てはめ不自由にしていた様相が解放されると、、
「今」 というくつろぎのスペースに、、他力の風が吹き抜けるようになるです、、三 (/ ^^)/
※今月は、「くまもん月間」 などという 「枠」 には当てはめず、、
他力に任せて、、流れて行こうと思います、、( *´艸`)
今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ