昨日の記事、、偉そうに書いちゃった手前、、m(__)m
ちょこっとだけの補足とさせて頂きますと、、
つまりは、、「幸せ」 とは 「こういうもの」 だとする、
限定化、対象化の思考作用を見抜き、
世の中的観念、個人的な価値観を基に作られた仮の 「幸せ像」 のすべてが、
本来的な幸せを感じることを邪魔していた 「ストッパー」 であったということに気づくと、、
あらゆるところに幸せを見ることができるようになったりするかもしれません、、
これは、「ありふれた日常に幸せを感じる」 のとはちょっと違います、、
というのも、、「ありふれた日常こそ幸せ」 だというのも、
思考の限定化、対象化に微妙に嵌まっている観念だからです、、
もはや、そこにおいて、それを 「幸せ」 という概念の内に閉じ込める必要はなく、
ただ在るというシンプルさから湧き出でる、
自然な安楽さが自ずとそれを物語ってくれる、、と言った所でしょうか、、
一方で、時に、感情が動くような出来事も当然起こり得ますが、、
「幸せ」 の限定化が存在しなければ、対極の 「不幸」 の限定化もまた存在しないわけですから、、
ただ、あるがままの 「そうである」 出来事として、
自然に経験する、必要な対応を必要に応じて起こしていく、、
ということが無理なく起きるようになるというわけです、、
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というわけで、、くまもん押しが続いていた流れにワンクッション(^^♪
先月、、地元の田植え後の季節に現れた、、夕暮れの様子をパシャリ( ;∀;)
くまもんばっかりじゃない、、一隅を照らす相棒も健在でっす、、( *´艸`)
ほんま、、当処即ち蓮華国、、この時何をか求むべき、、(by 白隠禅師)
やね、、(*´▽`*)
※今日も読んで下さり、ありがとうございました!(#⌒∇⌒#)ゞ