「対象化」を見抜く | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v


幸せも、悟りも、真実も、、



対象化してしまった時点で、距離ができてしまいます、、ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ


いわゆる、思考の得意技と言ったところですが、、



例えば、「幸せ」 を例にとりますと、、


「幸せ」 とはこういうものだ、、


という世の中的、個人的な価値観でもって、


勝手な 「幸せ像」 を作り上げ、それを信じてしまうと、、


瞬時に、あるいは、無意識のうちに、それとの距離が発生してしまうのが分かるでしょうか、



それを目指して、いつかそこに辿り着けるように、


それを実現するまでは、あの人のようになるまでは、


まだまだ自分は未完成だし、未熟だし、、



もっともっと 「幸せ」 のために、


付けたさなければならないモノを手に入れ、


クリアしなければならない課題を明確にして、


克服しなければならない状況を一つ一つ理想の形に仕上げることができて初めて、、



自分はようやく、「幸せ」 というステージに達することができるんだ、、



といった具合に、「幸せ」 というものを生み出し、対象化し、限定化したことで、


逆に、『幸せ』 から距離ができ、「幸せでない」 観念が深まっているのがお分かり頂けるかと思います、、



「幸せ」 を求めるくらいなら、捨ててしまってください、、


「幸せ」 が 『幸せ』 を邪魔しているんです、、


というか、そんな言葉自体、本当の幸せには必要ないかもしれません、、





「悟り」 も、「真実」 もそうです、、


距離ができた時点で、今はまだそれではない、、


いわゆる 「その状態」、「覚者」 が言うような境地を目指して、、


もっと学ばなければ、、「覚者」 の話をたくさん聞いて、その人に少しでも近付かなければ、、



話に聞く、、至高体験、神秘体験、至福な状態、次元上昇?を目指さなければ、、



と、いわゆる、「悟り」 や 「真実」 といった言葉が本当に指し示す先を見落とし続けることでしょう、、



真実は、、常に、、今、まさに、ここに、、


距離もなければ、、「いつか」 でもない、、「どこか」 のはずがどうしてあり得ましょう、、




※って、幸せのさっきの話、、


「ありふれた日常が幸せ」 だってことが言いたいわけではありません、、


その点は誤解なきよう、、続きはまた次の機会に、、m(__)m



今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ





にほんブログ村