問題は誰が作るのか | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v


OSHOが紹介してくれた、イソップ寓話にこんな話があるそう、、φ(.. )



ある朝、1匹のムカデが散歩に出かけようとしていた、、


1匹のカエルがその様子を見て驚嘆した、、カエル


というのも、そのカエルによれば、


百本もの脚を持つムカデが、


何の滞りや困難もなく、平然と散歩をしている姿が信じられなかったからだ、、



ムカデに尋ねるカエル、、


「おじさん!あなたの朝の散歩を止めたりすべきじゃないんですが、


 しかし、とても哲学的な疑問が頭に浮かんでしまって、、


 どうしても自分では解けません、、私はただのカエルですし、


 あなただけが頼りです」



ムカデ、、


「どうしたんだい?」



カエル、、


「問題というのは、あなたの百本の脚を見たことです、、


 私は数えたんです、、


 そこで問題というのは、あなたはどうやり繰りしているんですか?」



ムカデ、、


「どうやってるかなんて考えたこともなかった、、


 ちょっと歩いてみてこれまでどうやってきたのか、見てみることにしよう」



次の瞬間、、


彼はたちまち倒れた


百本の脚すべてがお互いに絡み合った


彼はすっかりカエルに腹を立てて言った



「二度と誰にもそんな質問をするんじゃない!


 お前の哲学はお前だけのものにしておきなさい!


 この馬鹿者めが!私はこれまで一生ちゃんと歩いてきたのに、、


 だが、今となっては心配だ


 お前が、そんな疑問を私の心に植え付けたものだから、、


 その疑問を忘れることができなくなってしまった、、


 この先まったく歩けなくなるかもしれない」



・・・・・・・


というわけで、OSHOの結論、、


生には生のやり方がある


あなたがすべてをやり繰りしようとし始めるやいなや


あなたはそれを台なしにする


生に、その自由を許してごらん


愛について、自由を許してごらん


凝り固まった考えに、支配されるのでなく体験してごらん!






思考が問題を作り出す、、


初めから、「問題」 なんてなかったのに、、


そして、その 「問題」 を思考自らが思考を頼りに解決しようとする、、


ますますその 「問題」 性は強化される、、



この習性を見極めるだけで求道の時間はかなり短縮される、、



なぜなら、真実から引き離すのも、他でもない思考だからだ、、


初めから、、隠されたことなど一度としてなかったものを、、


「見つけ出そう」 とするから見えなくなる、、


何としても 「手に入れよう」 とするから迷走が深まっていく、、



真実は、思考では見つけられない、、


なぜなら、その思考が真実を見えなくしているのだから、、



思考の習性を捉え、そのしっぽを捕らえる、、足あと


初めは、思考が思考を捕らえるという段階もあるかも知れないが、、


おそらくそれは、見破られ始めた思考の抵抗に過ぎないのかもしれない(?)、、



問題を解決しようとするのではなく、、


真実を見つけようとするのではなく、、



単純に、それを 「問題」 とした思考から離れ、


解決しようともがくその動きに意識的であること、、



見つけ出そう、手に入れようとする思考を、、


どこにあるのだろう?何のことを言っているんだろう?という思考を、、


意識的な目で見つめ返してあげればいい、、



姿がさらされた思考は、、瞬時のうちに消え去る、、オバケ


ささやかな抵抗も、見守ってあげればいい、、



その体感にくつろぐことを身に付ければいい、、



※OSHOの動画はこちら からご覧になれます、よろしかったらどうぞ(^^♪


今日も読んで下さり、ありがとうございました!(#⌒∇⌒#)ゞ







にほんブログ村