函館ちゃんちゃんこ物語26
「函館ちゃんちゃんこ物語」
毎年届く年賀状。その中には学生時代の懐かしい仲間のものもある。
ここ数年多くなったのが、「退職」の知らせだ。いつの間にかみんな年を取った。
道場海峡男(どうばうみお)は、
ふと、大学の研究室の機関誌「学大地理」を本棚の隅から取り出した。
色あせた機関誌だが、一瞬のうちに学生時代の記憶が蘇り、心がときめいた。
「もしも○○が○○だったら、人生は・・」
北海道日本ハムファイターズが北海道に渡る30年くらいも前、道場海峡男は北海道に渡っていた。1970年後半の話だ。
その当時の北海道のプロ野球状況は、巨人オンリー、プロ野球=読売巨人軍という悲惨な状況であった。ファイターズガールのきつねダンスに駆逐されるまで、読売巨人軍は北海道にのさばっていたのだ。(個人の意見である)
雀荘さとう下宿の住人たちも、海峡男の他はみんな巨人ファン。巨人ファンを、強い巨人に群がる弱虫どもと思っていた海峡男にとっては、とても残念な状況であった。
海峡男は、可愛く素直な幼少時代からの阪神タイガースファン。しかし、小さい頃からずっと阪神優勝の記憶はなく、阪神の優勝を実際に味わうのは、大学を卒業してしばらくした1985年まで待たなければならない。そう、史上最高の助っ人バース、Mr.タイガース掛布、現在の監督岡田を核とした超強力打線の年である。彼等のバックスクリーン3連発は伝説となっている。
海峡男が北海道に渡った1970年後半の阪神も、掛布を中心にラインバック、ブリーデンといった強力打線が売りであったが、優勝は遠かった。江夏や田淵といったチームの中心選手をトレードに出し、チーム改革を図ったが即効性はなかった。江川問題で巨人から小林繁が阪神に入団し、意地の投球で喝采を浴びたのもこの頃である。
弱虫巨人ファン!と海峡男がいくら叫んでも、肝心の阪神が弱体だと発言力も弱く、他に阪神ファンは函館には見当たらないこともあり、残念な思いばかりであった。・・・まあ、これは、阪神タイガースファンの宿命なのである。
しかし、弱かったタイガースを孤軍奮闘、必死に応援していた海峡男であるが、大学の2年生になって、地理研に関西から新入生が来た。それも3人も・・・。海峡男は「当然阪神ファン!」と思い大喜びしたが、一瞬のうちに幻に終わった。
関西からの新入生は、ジュリーに、秀樹に、いかれたミュージシャンと、野球には全く興味のないすってんころりんの3人組で、がっかりの極みであった。
その後も後輩には、函館生まれなのになぜか?熱狂的な中日ファンの女の子だったり、海峡男と同郷の大田弟は、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)のファンだとか、なぜか、妙にマニヤックで変な連中がたくさん地理研に入ってきた。
「俺らは、こんなにまともでまじめな先輩達なのに、後輩達はどうして・・・」
と、いつも海峡男は思っていた。
2023年、阪神タイガースは38年ぶりの日本一。合い言葉の「アレ」は流行語大賞にも成り、阪神の優勝は野球のみならず、その歓喜の渦は社会全体に広がった。
もし、海峡男が大学生の頃、阪神タイガースが今のように強いチームだったら、彼の人生はどう変わっていただろう。
続きます。
※おことわり
この物語は、実際にあったかどうか疑わしいことを、作者の老化してぼんやりした記憶をもとに書かれていますので、事実とは全く異なります。登場する人物、団体、名称等は、実在のものとは一切関係はありません。
また、物語の中の写真はすべてイメージです。