釈尊の生まれから伝道まで | 吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺のブログです。

お釈迦さまは、カピラヴァストゥというところで

生まれました。

現在のネパールの南部で

インドに接する地方です。

 

シャカ族の王子として育ちましたが、29歳の時

出家し、マガダという国に入ります。

マガダのラージャグリハ(王舎城)は

新しい時代の思想家たちが集まる所で

お釈迦さまもそこにいました。

 

そこで托鉢をしつつ、修行し

自らの求める道を探っていました。

7年間の苦行の末に

ネーランジャラー河のほとりにある

1本の木、ピッパラ樹の下で

目覚めた、すなわち成仏に至りました。

 

それからは、目覚めた人

ブッダ・ゴータマと称せられることになります。

そのピッパラ樹は、菩提樹と呼ばれます。

5世紀頃に仏教弾圧で切られてしまいますが

枝を挿し木することによって

インドの各地に移植されたといいます。

 

お釈迦さまが目覚めた時に

覚ったその内容とはどのようなものか。

それは、「縁起の法」と考えられています。

「これがあれば、これがある。

これが生ずれば、これがある。」

という、この現象世界の法則です。

 

彼は、成仏した後もしばらくはその場に坐して

覚りの内容を思い巡らせていたとされます。

師なく、独悟し得た、その内容を

最高の喜びとして味わっていたのでしょう。

 

それから、衆生済度の為の伝道の旅に

出るわけですが、それに至るまでには梵天勧請の

伝説が示すように、釈尊自身に葛藤があったと

思われます。

縁起の法を説いても誰も理解できないと

考え、説法することを躊躇ったのです。

 

ただ、最高の覚りに達するも、それを誰とも

共有できずにいることは、釈尊にとって

孤独なものであったともいわれています。

そのようなこともあり、ついには

人々の中に入り、法を説き、理解させ、

それを実践させていくことを決意し

伝道の旅に出ることになりました。

 

初めの説法の相手は、かつて共に

行を行っていた仲間たちで、彼らは

ヴァーラーナシー(ベナレス)にいました。

その地は、当時から宗教的な思想家が

集まる土地であり、現在ではヒンドゥー教の

一大聖地となっています。

 

釈尊は、菩提樹の下から起って

ヴァーラーナシーのサールナート(鹿野苑)に

向かって出発し、そこでかつての仲間に

対して初めての説法を行ったのです。

それが、初転法輪です。

 

 

……続きあり……