生産(製作現場)≒継承現場≒作品作り(大競技会やグランプリ)が理想であり、近似値を探すことが必要です。
と2年前のブログで語りました。
手技が市場にきちんと反映するためには、それ相応の努力が業界に求められます。
それが継承現場・・・技術講習会であったり研究会、勉強会であるはずです。
そこが等閑にされ、社会(市場)との接点を経営的視点から無理やり規定する規範ができたのが、「手彫り、手仕上げ、機械彫り」という言葉でした。
それが市場で独り歩きしてしまい、あとは放置の状態が消費者に「きちんとした印章」への価値の誤認をさせてしまいました。
そういう中、コロナになりリモートワークの邪魔者としての印章と印章文化が同化してしまい、印章文化を守ること自体が社会の利便性を阻止していくことと捉えられてしまいました。
先日のグランプリで先輩審査員の方がおっしゃっていました。
「ロボット(機械)は、荒彫りを受け持つ一つの行程だ。
昔でいう師匠(先生)の字入れした印面を弟子(生徒)が荒彫りをする・・・それと同じだ。
それを、ひとまとめに「手仕上げ」とするのは、おかしなことだ。
肝心なのは、判下・・・それをパソコン機能に頼らず、嘗ての光電式彫刻機の判下を手で描いていたように、手でしっかりと表現できることだ。」
継承現場が変わること・・・市場の現実をしっかりと受け止めることが求められているように感じます。
それが出来るのは、経営論を誤謬してきた経営者陣ではなく、技術者であったと思います。
あったと過去形にしたのは、需要減の今更対応しないだろうし、誰もしそうにもないからです。
どうなるか?わからないが、業態変換しかないなと、この頃つくづく思います。