夏場所やもとよりわざのすくひなげ
【作者】久保田万太郎
【 伝えなければならぬ二つのこと 】
伝えなければならぬ二つのことの一つとして挙げさせて頂いた「OSHIDE」のキーワードは、「約束」です。印章をどんどんと広義に解釈していくと、stamp的な要素にまで拡大していきます。技能の側面からは、手で行う仕事という観点から手彫りゴム印も印章部門となりますが、使用者サイドから見ると、それはstampであります。Sealとしての側面でも解釈がいろいろありますが、大陸からの制度的な文化としての印章は、個人の意思確認や所有の証明などとなります。それが伝来してきた以前の日本の「OSHIDE」、主に縄文の意識は、おそらく「約束」なのです。「約束」は、これも広義に解釈すると先の個人の意思確認や所有の証明も含まれます。契約なども「約束」の一部となります。そういうところを大切にしているのが「OSHIDE」であり、後世に伝えなければならないことであると考えています。
もう一つの伝えなければならぬことは、令和の廃印令までの400年以上にわたり継承されてきた印章木口彫刻技術です。これをきちんと工藝として位置づけること、それが二つ目に大切なことだと考えています。
印章自体が日本に姿を見せたのが大陸からの金印です。それからはるか先に大宝律令が701年に制定され、時を同じくして印制が始まりました。それらのほとんどが鋳造印で、現在の印章彫刻技術とは違った技術となります。印制導入以前から印の導入が行われ始め、国土統治の一翼を担ってきました。それから時はまた経ち、室町後半から戦国時代、織豊時代と呼ばれる頃に、印章の制度的充実のために、技術開発が行われたようで、それが印章店(印章業)の始まりとなりました。その技術は徒弟制度をもとに普及され、その後の印章需要に対応出来る量質ともに向上してきました。今やそれらが量質ともに低下を始めています。理由はいろいろありますが、ここでは控えさせて頂きます。しかしながら、400年もの長きにわたり培われてきた技術であり、とりわけ戦後から高度成長期に業界で発展してきた職人の技を提示してきた展覧会や競技会での作品は、業界の技術の発展に寄与しただけではなく、社会的な宝であるとさえ感じています。それが、印章の社会的在り方の変化により、ともに消えてしまうことには、今まで向上に寄与してきた先生・先輩方の苦労が水の泡となっていくことだろうと、残念でなりません。
そこで、この二つを伝える柱にして、今まで進めてきた①煕菴の遊印②姿の美しい印章「捺捺捺」③HANKO KIANと共に事業の一形態として「OSIDE」を新規事業として、みなさまにご提案していきたいと考えております。
何卒よろしくお願い申し上げます。


