いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな
【作者】角川春樹
昨日は久しぶりにゆっくりの日曜日。
夕刻、「笑点」を見て「ちびまる子ちゃん」を見ていると、冬至の話をしていました。物知りの長山くんが言っていたのですが、冬至に名前に「ん」がつく食べ物を食べると「運がつく」とされ、運気が上がるといわれているらしい。中でも、名前に「ん」が二つある食べ物は「冬至の七種(ななくさ)」と呼ばれています。冬至の七種は、かぼちゃ・れんこん・ぎんなん・にんじん・きんかん・かんてん・うどんの7つです。
食べ物ではありませんが「いんかん」も「ん」が二つあります。「いんしょう」は一つですが、「ん」がつきます。「はん」にも「ん」がつきます。
印章は「ハンコレス」の時代となり、ますます重要なところにしか押さないものになりました。はんを押すときは、その人の運命を左右するようなことであったり、不動産や資産が動く時となりますので、人心として、そこに運を求める方が多くおられます。それは、もうすぐお正月ですが、初詣で開運をもとめる人心に似たものがあると考えられます。
私は吉相印や開運印章の書体については否定的な考えを持っています。そこには論拠もありません。また、その太いミミズがのたくりまわっているようなデザインは、先人からの規範の意思を感じられず、美からは程遠い技術無き印影であるからです。そして、役所から印鑑登録できるのかと問合せがあるのは、ほとんどといってよいぐらいこの書体なのです。字書にない文字や誤字が氾濫しているのもこれらの書体であります。
書体としての印相体・開運吉相体(・・・名を変えてもどれも同じ)は否定しますが、印章、印面には相はあると思います。醜い怪物印としての印相体ではなく、
美しい文(あや)を感じられる先人より引き継がれ、使用者とのキャッチボールで鍛え上げられ、洗練されてきた摹印の妙には、相手を納得させるだけの美をシェアしてくれます。
それらは、「ん」がつく食べ物を冬至に食べるという健康にもつながる良き行いに通じる文化的な営みだと私は考えています。
大阪ではん屋(印章店)をしていると、大概のお客さんは、「儲かるハンコにしといてな」と言われます。「そんなもんうちにはありません。」とすると、商売あがったりになります。しかし、売れるからと怪物印の販売に逃げてしまうと、そこからはもう逃れられない技術者の堕落が始まります。そう規範もなにもない、商人目線のみに翻弄されてしまいます。欲得には決して「ん」という運はつかないのです。
