Can-Do Attitudeとは、要するに、出来るという気概。
何かに取り組む時に、為せば成るという精神で頑張る姿勢。
この姿勢、オーストラリアでは履歴書の自己PRにも使える。
昨日娘がキッチンのカウンターで、算数の宿題をやっていた。夕食を作りながらちらっと見たが、ちょっと娘にはレベルが高い気がした。
娘も唸ったりため息をついたり。
ちょっと難しいみたいだから、先生にレベル下げてって言ってみたら。と私。
お母さん、これは私のレベルに合わせて出されてる課題なの。だから出来るの。と娘。
オーストラリアでは、教室で授業中に出される課題も、宿題も、個々のレベルに合わせた難易度で用意される。算数だけではない。読み物の教材やスペリングの単語の難易度も、個々によってレベルが異なる。
私からしたら、だからこそ、難しすぎるなら先生に言えばいいのに、と思う。
しかし頑張っているのでちょっと助け舟。
考え方を説明。
説明の途中で、分かってくると、制止される。この先は自分で考えるので、それ以上説明しないで。という具合だ。
自分でやってみる。
またちょっと躓く。
またヒントを与える。
分かるとその先の同様の問題を回答。
次の新たなコンセプトの問題で躓く。
一緒に考える。
分かりかけると1人で頑張る。
ちょっと分からない、でも頑張れば出来る。そのチャレンジ感が好きらしく、嬉々として問題を解く。
教え甲斐がある。
なんだか担任の先生の気持ちがよく分かる。
娘はプレップ(日本の幼稚園年長の年。オーストラリアでは学齢。一年生の一つ下の学年)に上がった時から、毎年、担任の先生に嘘のように褒められ続けてきた。
自分のことでも息子のことでも、先生にべた褒めされるというのは経験がない。
それはいわゆる頭がいいとか言うことではなくて、この、学習態度が、先生が生徒に求める理想像なのではないか。
娘に教えるのはワクワクする。
娘を受け持てて本当に幸せ、などど先生に言われる。
その気持ちが少し分かる。
キーボードの練習でも同じ。
キーボードは外部から小学校に講師が来てくれて、昼休み時間を利用して、希望者に週一で教えてくれるもの。
やりたいと言ってもどれだけ継続するか分からないような、移り気な小学生にはちょうどいい。
このキーボード、娘は3年生になると同時に開始。2ターム目に入ったところだ。
今右手と左手、ドからソまでの範囲を片手ずつ弾く曲を練習している。
この曲の、最後の左手のところが上手くいかない。
週末に練習した時に、その部分だけ集中して10回やったら絶対できるから。と言ってみた。
1回目出来ない。
2回目出来ない。
3回目できない。でちょっと落ち込む。
手を貸そうとすると、制止される。
自分で出来るから、ちょっと待って。
集中し直して4回目。微妙に出来たような。
5回目出来た。
6回目出来た。
10回やって、最初からおさらいを2回やって終了。
こうやって毎回、頑張れば出来るという癖がついていく。
3回目、出来なかったところからの、絶対出来る!と訴える後ろ姿。あのチャレンジ精神。そして何と言っても楽しそう。
これはもう持って生まれた性分。
非常にポジティブ。
私の遺伝ではなさそう。
最初のCの音を確認する時に、キーボードにかけてある布をちょっとずらして、ヤマハのロゴの位置を確認する姿も、微笑ましい。