中間配当入ったので白馬号出動 その3 水戸黄門の西山荘と美味しい物 大日本史で「どうする家康」 | ki48-2のブログ

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岡倉天心の六角堂を後にして帰路に就く・・・・筈だったのだが、海鮮丼を食いたい。

しかしどこかによって腹を減らさねばならない。

という訳で・・・・

時代劇ファンとしては水戸黄門の西山荘へ行くことにした。

西山荘とは光圀公の隠居場。

 

 

西山荘入り口

ここを進んでいくと助さんの家跡の看板がある。

行ってみる事にしよう。

ここが助さんの家跡。

当時は周りの木立があったかどうかは解らないのだが、日当たりも良くないし・・・あまり良い住環境とは言えないように思う。

江戸の下町の八っつあん熊さんの長屋の方が余程住みやすいんじゃないかと思えてしまう。

助さんが可哀想だ・・・・

 

山茶花が咲いています。

この辺は他の家臣の家があった辺りで日当たりもまあまあ良い。

やっぱり助さんは可哀想だった。

 

これより西山荘。

入場料が1500円とクソ高い。

徳川の埋蔵金(発見されてないが)もあるだろうに、ここまでボラなくても良いような気がする。

そのせいかまた紅葉も終わってしまって、見学しているのはオイラ達の外に二組ほど。

時代劇ファンでもない限り今どき来ないか・・・・

築山から見るとこんな感じ。

中央が黄門様の居間兼仕事場。

左の小屋(土蔵)は書庫との事。

丸窓の部屋が黄門様の仕事場。

大日本史は此処で編纂された。

この部屋が居間である。

裏の建屋には黄門様の人形があり、復元された音声が聞こえる。

「よう訪ねてくださった・・・・」から大日本史を編纂しているという台詞なのだが、なんだか今にも死にそうに聞こえる。

やはり黄門様は「助さん!格さん!懲らしめてあげなさい」から「ハッハッハ」と笑わなければイメージが崩れる。

イメージはやはり東野英治郎。

 

西山荘を後にする。

寒椿が盛んに咲いていました。

 

しかし黄門様が編纂した大日本史が皇国史観の元になって幕末に討幕の大義名分にされてしまう。

孫がこんな本を編纂したと知ったらどうするだろう?

どうする家康!

 

さて、適当にお腹が減ったところで例のあの場所に行く。

 

三人で頼んだのが上から「うまい物膳」「ちらし膳」「海鮮丼」

鮟鱇の唐揚げを付けてシェアして食べる。

美味しゅうございました。

 

デザートは暫く走って深作農園。

半分ほど食べちゃってから「いけねえ写真を撮らなきゃ」って慌てて撮った。

アイスクリームとバウムクーヘン。

これも美味しゅうございました。

 

この後はお腹いっぱいでラーメン屋へ行く気にもならずそのままご帰還と相成りまして候。

行きは何も食べられなかったが、帰りはまあまあ美味しいものを食べて満足したかな。