可能性はゼロではないだろう | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

ソフトウェア会社に異業種から転職した当時、学習した表現方法がありあります。
高度情報処理技術者たちは、何万行ものプログラムのなかに1個でも不適切な文字・記号
があると設計したシステムが全く動かないという事象を複数回経験しています。


そこで日常のアナログ業務でも同じ視点でコメントすることがあります。たとえば、書類の中に1文字誤字を見つけたとき、この書類は「全くだめ」と全否定します。

一方、アナログ稼業のプロフェッショナルたちは「大同小異」とか「大は小を兼ねる」「木を見て森を見ず」とかいって、枝葉末節な部分に執着して神経質になるのを嫌います。

ギリシャがEUから離脱し、独自通貨を発行すると懸念されています。そして独自通貨は発行後すぐにユーロに対して為替レートが半減するといわれています。大半の職業コメント屋さんたちは、高度情報処理技術者のような視点でコメントしているかもしれません。そのおかげで、我が国を含む先進国の近未来に底なしの不安が膨らんでいるような気がしてきます。

確かにギリシャが破たんしユーロ圏から離れる可能性は、ゼロではありません。しかしながら
ユーロ圏は持ちこたえるという可能性も、ゼロではありません。

1文字のエラーで日本の基幹システムが崩壊する可能性はロジックとして有りです。たった1文字を24時間追いかけまわしてメシのタネにしている人たちもいることでしょう。でも、我が国は1文字のエラーで不具合が発生するというプログラムで動いているようなきわめて複雑な電子システムではありません。1億人超の人の動きはアナログです。

大震災後に、「さらなる被害発生の可能性はゼロではないだろう」と記者に問われ、原発当事者や専門家が、「まったく大丈夫です」と答えることは困難です。


一般市民としては、アナログの視点で「可能性はゼロではない」を言い換えれば、「まず大丈夫であろう」という表現になると読み替えたいものです。