今月のテーマは「老いて強し」。武道を取り扱ったテーマですが、体力的にはまったくかなわない老いた人間が、どうして体力的にも勝る若い人に勝つことができるのか?
肉体的なモノだけではない力が存在しています。アンチエイジングの極意がここに隠されています。”健康”や”気”にも共通する内容を読み取ってください。
【ヒーリングへの道しるべ12月号】
「老いてなお強し」「老いてなおさら強し」。一般の方にはなじみの少ないこの言葉は、武道を志す者にとってはロマンであり夢であります。
歴史上これを体現した達人が時に現れて大きな光を放ち、後に続く人達はその光を求めて修行を積み重ねていきます。
「老いてなお強し」を現した達人とは、実際に若い修行者が全力で立ち向かっていっても、圧倒的に強いだけでなく、その達人の感化力ともいうべき言葉や人間力がその弟子たちに伝わって、弟子達の人生を輝かしいものに変化させているのです。
「老いてなお強し」を現した達人とは、実際に若い修行者が全力で立ち向かっていっても、圧倒的に強いだけでなく、その達人の感化力ともいうべき言葉や人間力がその弟子たちに伝わって、弟子達の人生を輝かしいものに変化させているのです。
そのような達人は武道の歴史上何人も存在していましたが、なかでも私が感銘を受けるのは、幕末の剣の達人、山岡鉄舟居士と、合気道の開祖植芝盛平翁です。
山岡鉄舟居士は1868年戊辰戦争の際に勝海舟に協力して、駿府に西郷隆盛を訪ね、江戸開城のための勝、西郷会談の道を開き、江戸が火の海になるのを防いだ功労者です。
山岡鉄舟居士は1868年戊辰戦争の際に勝海舟に協力して、駿府に西郷隆盛を訪ね、江戸開城のための勝、西郷会談の道を開き、江戸が火の海になるのを防いだ功労者です。
鉄舟居士は禅を深く修行しました。最晩年胃癌だったようですが、死期を悟った時、立つのがやっとの体が道場ではシャンとなり、全力でかかってくるようにとの指示のもと、弟子達が本気で全力で打ちかかっても全く歯が立たなかったそうです。
その最後の稽古の後、沐浴して座禅をしつつ息を引き取ったという事実が残っています。
また1942年大東流合気柔術を合気道として開いた植芝盛平翁は老いてますます強く、死ぬ直前が最も強かったとされています。
真の武的強さとは、このお二方の例にみられる武的強さとは一体どういうことなのでしょう。
例えば死の直前の鉄舟居士や盛平翁が、重量あげや、短距離走を若者と競ったならば、間違いなく若者が勝つでしょう。
また1942年大東流合気柔術を合気道として開いた植芝盛平翁は老いてますます強く、死ぬ直前が最も強かったとされています。
真の武的強さとは、このお二方の例にみられる武的強さとは一体どういうことなのでしょう。
例えば死の直前の鉄舟居士や盛平翁が、重量あげや、短距離走を若者と競ったならば、間違いなく若者が勝つでしょう。
従って肉体の機能そのものがこの二方の武的な強さではなかったということになります。
私は長い間一見不思議とも思える「老いてなお強し」「老いてなおさら強し」という現象の原理を考え実践的に研究してきました。
私は長い間一見不思議とも思える「老いてなお強し」「老いてなおさら強し」という現象の原理を考え実践的に研究してきました。
そしてやっとたぶんこうだろう。こうに違いないという仮説的結論に達しました。それは人間の遂行能力=身体能力×脳の能力(Performance=Physical power×Brain power)ということです。
身体能力の訓練開発の方法は多くの人達が研究しかなり明らかにされていますが、脳の能力そのものを高める方法はまだ明らかになっていません。
鉄舟居士や盛平翁は武道を通じて、身体能力はもちろん高めましたが、それだけでなく、それ以上に脳の能力を非常に高度化していたと推定されます。
鉄舟居士や盛平翁は武道を通じて、身体能力はもちろん高めましたが、それだけでなく、それ以上に脳の能力を非常に高度化していたと推定されます。
したがって身体能力が極度に低下していても、武的な力、遂行能力が高弟たちを凌駕していたのです。
矢山利彦氏の著書についてはコチラです。