昨日の記事に対して、

素敵なメッセージを送ってくださった方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。

現地で僕が観ている風景を、

写真を通して少しでも共有することができて、

よかったと思います。

写真を見るという経験も、
それがどんな場所でどのように共有されているのか、そのコンテクストから大きく影響を受けます。

どんな構図を取り、
どんな切り取り方をして、
どんな瞬間を残すのか。



たとえ同じものが写っていたとしても、
文脈が異なれば、そこには違う意味が立ち上がってきます。

これは、
関係と写真により築き上げられた可能世界と、
フィードバックループが作られ、
描き出した世界が内部表現化されたからといえます。(サイバーホメオスタシス仮説:マルチモーダリティーの臨場感パラダイムより)

端的にいえば、
物理的な写真だけではなく、
認知空間に広がっているということ。

もう少しだけいうなら、
一枚の写真を見て、

ただ美しいと感じることもあれば、
懐かしさを感じたり、

まだ訪れたことのない場所なのに、

なぜか帰りたいと感じたりすることもあります。

それは、

写真に写っている物理的な情報だけを
受け取っているのではないからでしょう。

記憶や感情、
過去の経験、

それらは未来の臨場感と結びつきながら、
新しい世界は描き出され、制御は再構成されていく。

そういうレイヤーの重なりが、
そこでしか描けない世界を創り出し、
その関係でしか見出せない価値が創造されていくことにも繋がるのだと思います。

ということを、
Khronos(クロノス)」が展開している、
「The salone(サローネ)」について書いた時にも一緒にみてきましたね。

そういう意味では、
写真もひとつの架け橋になっているのだと思います。

実際、さまざまなイベント、
博物館、美術館・ギャラリー、
そしてインスタグラムとハッシュタグなど──

写真にまとわりつくコンテクストは、
実在していないものさえ、
人を動かすほどの力を持っています。

たとえば、
NOT A HOTEL」は、
完成した建築ではなく、
完成イメージで販売します。

(創り手はリアルを深く感じとっています)




未来を描き、
共有されることで、
これまで観えていなかった情報が、

自然と立ち上がってくる。

偉大なクリエイターたちは、
こうやって未来を描き続け、
物理に写像させ続けています。

これは、
構造だけ観ればシンプルであり、
僕たちの日常の延長線上にあるように見えるけど、ある閾値を超えたときの凄みが観えてくると、また面白い世界が広がっていくと思います。

ということで、
今日は朝から黒島へ。

この島は人口よりも、牛の数の方が多いから?



壮大な草原



永遠に続くかのような


暑すぎて牛は集まって日陰で休憩中


Ray先生からアーユルヴェーダの日本の聖地と言っても過言ではない、「もだま工房」さんの紹介とともに紹介いただけていました。

睡蓮さんも素敵にご紹介してくださっていました。

また他の島とは違う海の色




写真は、
現地の風景をそのまま届けるものではなく、
見る人の中に、
新しい風景が生まれるための入口でもあると思います。

そして、
朧げでも感じることのできる未来。

描き出され、
仲間と共有されたものは、
そこへ続いていく、
一つひとつの架け橋になっていくのだと思います。

ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
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