新年講座の募集内容で、
こんなことを書きました。
僕たちの脳は、
親、学校、社会からの「こうあるべき」という洗脳で汚染されています。
哲学者のルネ・ジラールは言いました。
「人間の欲望は、すべて他者の模倣(ミメーシス)である」と。
つまり、
あなたが頭で考えて書いている言葉は、
「あなた自身の言葉」ではなく、
「誰かの言葉の継ぎ接ぎ」に過ぎないのです。
なぜ、
こんな話を新年講座の入口に置いたのか。
理由はとてもシンプルです。
欲望は、個人の内側から生まれているものではなく、「関係」の中で立ち上がるものだからです。
(これを自覚することは、ほとんどありません。だから、内発的動機と倒錯し無自覚に競争へと入っていく)
ルーク・バージスは、こう書いています。
これまで見てきたように、欲望とは社会的なものだ。欲望とはつながりである。だから、もしあなたが自分は精神的な人間ではないと思っていたとしても、この方法はきっと役に立つだろうと思う。私たちは一人でいるのではなく、欲望によって結ばれた関係のなかに存在しているという、人間としての根源的な真理をもとにしているからだ。
(『欲望の見つけ方: お金・恋愛・キャリア』ルーク・バージス)
これは、
「自分の言葉が出てこない」
「何を書けばいいかわからない」
という状態は、能力不足ではなく──
どの関係の中で、
どの視点を観ているか
、
その問題でしかないということでもあります。
新年講座では、
この抜け出せない構造をどうハッキングするのか、ということも一緒にみてきました。
そのヒントとして出てきたのが、
ピカソの有名な言葉です。
もうひとつ加えて、
以前に引用したものをみていくと分かりやすいかもしれません。
これは、
1923年の『The Arts』誌("Picasso Speaks”)に掲載されたものですが、
こう語っています。
In my art I have never made trials or experiments. I do not seek. I find.
私の作品において、私は『実験』をしたことはない。私は探求しない、見出すのだ。
彼は、「探求」とは意図を持って探し回る行為であり、芸術とはそのようなプロセスではなく、既にそこにあるけど隠されているものを「見出し(Find)」、形として実現することである、という美学を主張しました。
この言葉と、
「Good artists copy, great artists steal. (凡人は模倣し、天才は盗む)」という言葉は、同じ構造の上に成り立っているのが観えてきます。
もう少しピカソの言葉をみてみましょう。
"I can hardly understand the importance given to the word research in connection with modern painting. In my opinion to search means nothing in painting. To find, is the thing." (現代絵画に関連して「研究」という言葉が重要視されることは、私にはほとんど理解できない。私の意見では、絵画において探求することは何の意味も持たない。見出すこと、それが重要なのだ。)
"Nobody is interested in following a man who, with his eyes fixed on the ground, spends his life looking for the pocketbook that fortune should put in his path. The one who finds something no matter what it might be, even if his intention were not to search for it, at least arouses our curiosity, if not our admiration." (運命が道端に落としてくれるはずの財布を探して、目を地面に釘付けにして一生を過ごす男。そんな男についていくことに興味を持つ人間はいない。たとえ探す意図がなかったとしても、何かを「見つけた」人間こそが、称賛とはいかなくとも、少なくとも我々の好奇心をかき立てるのだ。)
(『The Arts』誌("Picasso Speaks")1923年)
これに、
ピーターティールの言葉が重なってみえてきます。
「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。そこ
で、前提から始めてみよう。誰もが賛成することはなんだろう?「狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集
団、党派、国家、時代においては通例である」とニーチェは(狂う前に)書いた。誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。
(ピーターティール『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』)
成功に通じる秘密の道を探そう。
「誰もが小さなドアから外に出ようとひしめき合っているが、きみのそばには、誰も通らない秘密の近道があります。その近道を探し当てて、人より先に歩みだそう」
スタートアップがすべきことはなんだろう?この問いに対しても、ティールは単純明快な成功の方程式を提案している。
当たり前だと思っていたことを疑い、新しい視点で徹底的に考え直すのです。
(ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望)
コピーという、
表層をなぞる行為から抜け出すには、
情報空間にある視点を獲得することでした。
ただ見えている表現を変えることではなく、
情報空間の視点を持つことです。
それが、コピー(copy)と、
スティール(steal)の違いを生み出していきます。
コピーとは、表層をなぞること。
スティールとは、視点ごと持ち帰ること、
といってもいいかもしれません。
それは、
新年講座の募集記事にも書いた通り、
次元の移動であり、視座の転換です。
その視点から、ある美術評論家が
「ビカンが生きていたら彼を雇ったであろう」と
評されている天才質作作家ギイ・リブの手記で書かれていた“贋作の価値”についてみていくと──どこから言葉を発するか、ということや、copyとstealの解像度が上がるかもしれません。
ルネッサンスの時代、画家たちは模倣して腕を磨いており、贋作の概念は現在の意味とはまったく違っていた。(略)
当時は若いアーティストたちが鑑定家をもだまして巨匠の作品と思わせるに至ったとき、彼らの修行期間が終わったことを意味していた。成功した模倣は、彼らの才能のこれ以上ない証になったのだ。(略)
現在はすべてが変わった。人はもう作品を楽しまず、名前を買っている。(略)
絵に対して本当に感性のある人にとって、その作品が「本物」か「質作」はそれほど重要な問題なのだろうか?もし絵がうっとりするほど魅力的で、力強く、心乱されるものだったら、その絵が誰の手によるものかというのは、本当に重要なのだろうか?(略)
俺はこれまで、巨匠のものではないとわかっていながら絵を購入した買い手に何度も繰り返し会っていた。彼らはそんなことを問題にしていなかった。みんな作品に感動した瞬間から、それを制作したのは誰かなど気にしていなかった。
(ギィ・リブ ピカソになりきった男)
外部にあるものを「自分の内部ですでに見出されたもの」として意図的に再定義するハッキング行為として情報空間から観ていくことができれば、誰かのコピーではなく、現在の自分の表現になっていくのだと思います。
その“現在”は、
未来によって重要性が書き替わった現在として。
この先に決まっている企画も、
ひとつひとつ必要な形で
人が集まり始めています。
(文章にするとよく分からないことも、リアルで対話することで難しいものではないことが分かります)
お申し込み、ありがとうございます。
▽2月のスケジュール
メンタリングプログラム2期も、
引き続き参加していただける仲間が増えて、
一緒に移動してけることがとても有り難いことです。
▽Khronos Mentoring Program 2nd
世界が移動してしまった方は
次の段階へ進むしかありません。
それは努力ではなく、
世界が変わり、視点が変わってしまった結果です。
その時──
言葉も変わっていることに気づくでしょう。
この先も、
流れは続いていきます。
そしてその形は、
気づいた人の数だけ、少しずつ違う。
その変化に気づいたとき、
もう同じ場所には戻れないことにも、
気づくはずです。
ではでは、今回はこの辺で。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
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