日々、アメブロのいろんなランキングにたくさん入ることが出来ています。
有り難いことです。
ランキングの上位に入ることが出来るのは読んでくれている皆さんのおかげです!
ブログの感想でちらほら言われるのが、「文章が美しい」ということですが、ぼくの文章はうまいわけではありません。
心に響く文章を書けるわけでもなく。
マーケティングの視点を盛り込んだり、コピーライティングの視点を盛り込んだりしてるわけでもありませんし、
ストーリーテリングの手法を盛り込んだり、プロパガンダの手法を盛り込んだりしているわけでもありません。
ただ一緒に観たい未来があって、そこに一緒に行きませんか?というお誘いをしているだけです。
ここは仲間集めの場所ということ。
それぞれに個別具体的な理想の未来はあるだろうけど、広い意味で理想の状態へ変化していくということでは同じ意図を持った人たちの集まり。
同じ目的意識を持った人たちであれば、
「その仲間と一緒に移動した方が楽しいでしょ」
ということでやっています。
アメブロには、いろんなブログがあります。
数十万?数百万?よく分かりせんが、大量のブログがあるなかで、ぼくと同じジャンルのブログランキングをみていても入れ替わりがあったりします。
時代は巡るといいますか、漂白化社会において、なんとも表現し難いものが増えているような気がしています。
控えめに表現して脳が溶けるかと思いました。
それらは元々あったのかもしれません。
あったのかもしれないけど、観測してしまったので何かのメッセージだと思いブログという記録に残しておきます。
どんな情報に触れるかということは、とても大事なことです。
そして、踊らされないことです。
以前の記事で、こんなことを書きました。
ひとつのポイントとして、方法論がどこかにあり、それを知る旅に出るのではなく、自分のなかに出来上がる方法論を発見する旅に出ることかと思います。
成功するための公式。
あれをやれば上手くいく、これをやれば成功する、お金が勝手に入ってくる、愛される体質になるみたいなことは鵜呑みにしないことです。
解答ではなく問いを知ること。
その導き方を知ることです。
ノウハウというのは文字通りやり方なので、そのやり方が万人に当てはまるかどうかは分からないものです。(機械的な単純作業には向いています)
アインシュタインが言ったらしい、この言説は本当にそうだよなー、と思わされます。
If I had one hour to save the world,
I would spend the first 55 minutes defining the problem
and the last five minutes solving it.
もし私が世界を救うために1時間あったら、
最初の55分で問題を定義し
最後の5分で解決する。
(DeepL翻訳)
ここで大切なのは、最初の55分で質問を探す、というような、ちょっとぼんやりとしたことではなく、
「問題の定義をする」
ということです。
そして、彼はこういうことも言っています。
solutionと対比して
「本当に大切なのはsolutionではなく問題のformulation(定式化)である」
と。
目の前に立ち現れている問題のformulationさえ出来れば、あとの5分くらいで解決策も見つかるさ、ということを言っているのです。
これを逆向きに考えてみると、
「答えを探すのに55分かける人は、どれだけ探しても何も得られない」
ということです。
方法論を探す行為はそういうことなのです。
ぼくらがフォーカスすべきはformulation。
これはとても大切な視点かと思います。
イマイチわからないですよね。
少し分解してみましょう。
たとえば、
1.問題をあれこれ分析して眺めてみる
2.構造化して理解してみて
3.本質と枝葉に分解し分離させて
4.本質部分の定式化をおこなう
みたいなステップを踏んでみる。(詳しく書きたいのですが、どこかで機会があれば!)
その前提となるのが仮説を立てることなのですが、方法論を探している限り、仮説を立てるという発想が出てきません。
なぜなら、どこかに答えがあると思っているから。
仮説があれば検証ができて、その繰り返しのなかで目の前の問題の全体像や構造が少しずつ観えてきます。
その先に、本質と枝葉が観えてくる。
そうして、やっと本質を定式化する土台が整うのです。
いわゆる「物事の本質を見極めるチカラ」なんて言われているものは、こういう面倒なプロセスを経ないと養われないものかと思います。(自戒を込めて、ちゃんとやろう)
答えがどこかにあって、方法論が手に入ればと探し回っているうちに人生が終わってしまいます。
それは時間を奪われている、という視点で考えてみても繋がってきます。
いろんなメディア、雑誌、広告、テレビ、スマホ、SNS。
あらゆるところから、あなたの時間を奪ってくる。
そうして思考させることもなく、安易に何か答えがある場所があるような気にさせてきます。
時間も体力も思考力も奪われてしまっている。
ここから抜けるには、一旦リセットが必要。
だから、ぼーっとする時間を作るのです。
なにも考えずにぼーっとすることが、日々の緊張を取るきっかけを作り、本来に自分へ回帰するプロセスを作り出し、リラックスすることで呼吸は適切な機序を作り出し、若返りをスタートする。
これらは広く観ると繋がっているのです。
アンチエイジング、抗酸化作用、フリーラジカルに対する考え方、糖に対する考え、太りやすさ、スタイルをデザインする方法、美容整形などを、ある視点から眺めていくことで包摂して考えることが出来ます。
自分を知る時間を作ることから始めることを勧めています。
奪われてしまったあらゆることから回復することが先決なのです。
本来の自分へ回帰させる。
そして、
自分の人生を取り戻しましょう、本来のポテンシャルを引き出そう、本来の自分を見つけよう、
ということを言っているのです。
そうして抽象度を上げていかないと、人生は向上しないのです。
気功整体もメンタリングも美脚も造顔デザインも、呼吸改善もトレーニングもすべては繋がっています。
その源泉は
本来の機能美を取り戻していくとこ
です。
それを通して未来の可能性を広げていくことです。
これが数値としてみたときに、1しかない人は、1の人生を、1億ある人は1億の人生を歩めると思っています。
その意味でせっかくの可能性を閉ざしたままでいるより、解放させていった方が人生楽しいでしょ、と思っています。
可能性といってもぼんやりするかもしれないので、たとえば、
いろんなところで「二極化が拡大するから、どっちの極に入りたいのかよく考えて人生を選択すべき」みたいなことを言っている人がいます。
そこには身体性という根源的な部分が、ある種のパスポートとして重要になってくるような気がしています。
つまり、身体性が一定以上に高い人のみが観れる世界があるのではないか、ということです。